第64話  ふたりっきり

 

医務室で横になり、目をつぶる太郎。

しかし寝ているフリだった。

すぐ隣には椅子に腰かけるあずさがいる。
個室でふたりっきり。
何を話していいかわからない太郎には目をつむっていることしかできなかった。
脳震盪で一時的に意識を失っていたものの、衝撃も軽いものであったらしく、今は意識ははっきりしている。

「(情けない。こんなにふたりの距離を近づけるビックチャンスを神様がくれたのに……はああ)」

ふたりの沈黙はすでに一時間に及ぼうとしていた。
太郎は静かで同じタイミングの呼吸をくり返す。

太郎には不安があった。

お互いに好意を持ち、そしてキスまでも交わしたふたりだが、それ以降一向に距離は縮まらない。
いや、そのような事実があることが停滞をむしろ後退のように思わせる。
太郎は、あずさへの想いを上手く表現できない鬱憤を空手の稽古に向けていた。

「(あずさ先輩とは、これからどうなるんだろ? あれ以来全くアプローチしてないもんな。いい加減嫌いになっちゃうよな。倒すと宣言していた志賀にはあっさり落とされるし。恋ってこんなに辛いもんなのか)」

と、突然、太郎の髪に感触が走った。
どうやらあずさに頭を撫でられているようだ。
ゆっくりと優しく。
温かなその感触に、それまでの暗い感情が全て吹き飛ぶようだった。

「(あ……なんて、なんて慈愛に満ちたあずさ先輩の手。ああ、幸せ過ぎる。このままずっと寝た振りしてようかな)」

太郎は本当に眠りについてしまいそうな気持になったきた。

しかし、そんな幸せな時間は長くは続かなかった。
あずさの携帯が鳴ったのだ。

「あ。美雪さんからだ」

そう言うとあずさは部屋を出て行ったしまった。

「……そんにゃ。ふうう」

 

太郎はようやく目を開けることが出来た。
部屋の空気を味わうことが出来た。

「はああ、あずさ先輩ともっとラブラブになりないなー。ううう」

太郎はもう寝まいと誓った。

「あずさ先輩が戻ってくるまでに、何か会話の内容を考えておこう」

しかし試合の疲れからか、本当に眠りこんでしまった。

 

 

医務室を出て少し離れたラウンジで、あずさは携帯の電源を付け美雪に電話を掛けた。

「もしもし、美雪さん」

『あずさ、太郎君はどう?』

「うん、軽い脳震盪だって。今も寝てるよ」

『ふーん、良かったね。あの胴回しは命がけの愛情表現だった訳ね』

「う、そうかな。でも、もうあんな無茶はしないで欲しい」

『そうだね』

あずさが本心からそう思っているようなので、美雪はすぐに報告したい事があったが、間を置いた。

『それでね、今、準々決勝進出者が出揃ったんだけど』

「あ、うん」

『キヨはまあいつも通り勝ち上がったんだけど、何と! ロベルト君も準々決勝に進んだのよ!』

「えーー! 凄い!」

『しかも今売り出し中のロシアのイワン選手を破ってよ! 外国人同士の試合は迫力あったよ』

電話越しに美雪の興奮が伝わってくるようだった。

「あっ……ってことは、もしかして」

あずさはあることに気が付いた。

「今回の全日本でベスト8に入ったって事は?」

『もちろん! 来年の世界大会の代表選手に入ったってことよ!』

「そうだよねー」

そう。今大会でベスト8に入った8人は、4年に一度の世界大会への切符が渡される。
日本の残り4枠は、来年夏に開催される体重別全日本での各階級優勝者のみ。
太郎が世界大会に出場するにはこの戦いに勝ち抜かねばならない。

『五十嵐選手や辻選手などの有名選手が次々と敗退してってさ、中々波乱の大会になってるよ』

「で、準々決勝に残ったのは誰なの?」

『えーーっと』

何やら紙をめくる音が聞こえる。

『順番で言うと、伴兄弟の弟でしょ、そんで大岩選手、中条選手、下村選手、志賀選手、伴兄、ロベルト君にキヨ』

「あ……」 

あずさは気付いた。そう、準々決勝最後の試合でロベルトは相馬とぶつかるのだ。

『どっちも応援しなきゃだけど、何かやりにくいね』

「うん、そだね」

あずさは、それから二言三言交わし電話を切った。

「タロちゃん、起きてるかな」

足早に医務室に戻るあずさだった。

 

 

会場では、檀上にて、準々決勝に進出した八人の紹介が終わったところであった。
壇上を降りると相馬はロベルトの大きな背中を手のひらで叩いた。

「おう、ロべ。この大会で世界大会出場を決めちまうとはな。やるじゃねーか」

「押ー忍。相馬先輩! 嬉しいヨ」

「ふ、しかも俺様の前に立ちはだかるとはな」

「お、押忍」

「日ごろからお世話になってる俺様だからって、遠慮はいらねーぜ。全力でかかってこいな」

「押忍」

準々決勝で、相馬vsロベルト。
初の師弟対決が決まった。

 

第38回全日本大会途中経過

 


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