第56話  大人の階段

 

「おらー、てめーら! どんどん喰えや! 太郎! お前は軽過ぎんだよ! そんなんで秋の全日本を勝ち抜けるかあ!」

「押ー忍! 先ほどから、かなりいただいてます」

「オー、もう食べれないヨ」

昼間、昇級審査があり、太郎とロベルトは入門1年3ヶ月で茶帯を取得した。
板橋道場が始まって以来、全て飛び級で茶帯を手に入れた者はいない。
二人は順調に空手道をまい進しているのだった。

 

夜になり、相馬は太郎、ロベルト、美雪、あずさの5人で焼肉屋に来ていた。

「ちょっと、お兄ちゃん! 飲み過ぎじゃないの?」

「うるせー! 可愛い愛弟子が茶帯を取ったんだ! 今日くらいは飲ませろや!」

「キヨ! あんたはしょっちゅう飲んでるでしょうが! !」

今夜の相馬はいつになく上機嫌で先ほどからビールを飲み続けている。
アルコールが苦手だった太郎であったが、相馬に嫌というほど飲まされてきており、大分強くなった。
だが飲むのはカクテルやサワーなどの女性的なものばかり。

ちなみに、ロベルトは何でも飲める。
美雪はウイスキーの水割りをたんたんと飲んでいる。
あずさはあまり酒に強くないらしく、一杯目を飲み干す前にトロンとしている。

 

 

11時を回り、もう遅い時間になってきた。
相馬は座敷に横になって眠っている。

「……キヨの奴、寝ちゃってる」

「どうしようか?」

「いいよ。道場からも近いし置いて帰ろう」

「え? いいんですか?」

美雪は早々と帰り支度を始めた。

「大丈夫よ。……じゃあ、ロベ君。アタシを家まで送ってってよ。あずさは太郎君に送ってもらいなさい」

「へ?」

「はひひ!」

太郎はあずさを送っていくことになった。
夜、二人きりになるのは二度目だ。

太郎とあずさは、夏の夜道をゆっくりと歩く。

残念なことに今回はあずさをおぶらなくても大丈夫なようだ。
だが、あずさはかなりふらふらしている。

「あ、あずさ先輩。大丈夫ですか?」

「うーーん、大丈夫ですよー」

太郎の頭の中は不純な感情に支配されていた。

「(あー、手を繋ぎたい! 繋ぎたいよー! ! 今は酔ってるし、なんかいけそうな気がするー! )」

しかし、太郎にそんな勇気は無かった。
ふらつくあずさの腕が触れるたびに、血液が逆流するようだった。

 

 

しばらくして道場の前に着いた。
あずさの住まいは道場から少し行ったところにある。

「道場に着いちゃいましたね」

「そ、そうですね(着いちゃいましたってことは、なんか、なんとなく、残念というか、悲しいというか、なんというか、もっと一緒に居たかった的な……)」

太郎は、顔がにやけないように耐えることに必死であった。

「ご、ご自宅まで送りますよ」

太郎が道場を行き過ぎようとした時、あずさは太郎のシャツを軽く引っ張った。

「……タロちゃん」

「はっ、はひ」

「タロちゃんのお部屋に行っていい?」

「(ぎゃーーーー!!!!)お、押忍!」

太郎は心臓が飛び出そうな感覚に陥る。
部屋に来たい。
太郎は頭の中がパニックになってきた。

「(うわわわ、どうする、どうするう!)」

 

太郎とあずさは、誰もいない道場に入る。
普段は、汗と涙が渦巻いている道場も、今は甘い空間に様変わり。

誰もいないのに、何故か忍び足で、二階へ上って行く。

「(こ、これが、大人の、大人の階段かああ!)」

二階のバルコニーから、らせん階段の上がる。
狭い階段なので、あずさのお尻が太郎の目の前に。

なんという青春な感じ。

 

部屋に着くと、太郎は明かりを付ける。

あずさがどういうつもりで部屋に来たいと言ったのか太郎にはわからないが、しかし、あずさと部屋に二人きりという状態。

「あ、暑いですね。な、何か、飲み物、むむ麦茶でも持ってきます」

「ふあーい」

あずさはソファーに横になった。

太郎はトイレに入り精神統一をする。

「どうする? どうするんだ? こいつは、人生最大のチャンス! 憧れのあずさ先輩と、こんなにも……神が与えてくれたとしか思えないシチュエーション!」

太郎は、震える手をぎゅっと握りしめる。

「お、男と女が、夜の遅い時間に、部屋に二人きりということは、つまり、し、しししてしまうのか。が、合体を!」

太郎の心臓は、音が聞こえるのではないかというくらい激しく鼓動する。

「いや、そ、それは唐突過ぎるか。まだ、手も繋いだことないのに。そ、それに、合体する時に必要な、アレも無いし。そ、それに、や、やり方がわからん!」

 

太郎は考えもまとまらないまま、トイレを出て、キッチンに向かい、麦茶を入れる。

「そ、そもそも、付き合ってもいないし……」

そして、あずさのいるソファーに向かう。

「ええい、なるようになるのだ!」

太郎は、深呼吸を数回し、あずさの元へ。

 

「あ、あずさ先輩。お茶どう……ぞぞぞ! ね、寝てる!」

あずさはソファーで眠ってしまったらしい。

「な、なんだか、ほっとしている自分がいる。やっぱ、段階を踏んでいかないと、な。つーか、他の男子はどんな段階を踏んでいるんだー」 

 

太郎は正座をして、寝ているあずさの顔を覗き込む。

「し、しかし、可愛い過ぎる。あずさ先輩は化粧はしないんだな。ナチュラルビューティーだな。肌は白いし、唇はピンクだし……」

太郎は無意識か意識的か、段々と顔と顔が近づいていく。

「(ち、近い! ……いや、俺が近づいたんだが……)」

太郎の緊張感はピークを迎える。

「(どうする? するか! キ、キスを!)」

唇と唇の距離は数センチ。
そこまで来て、太郎の動きが止まった。

「(やっぱ、駄目だよなあ。寝てるときにチューしちゃうなんて。男として駄目だな。うん)」

そんなことを考えていた、その時。
あずさの目が開いた。

太郎はその刹那、あずさの唇にキスをした。
どうしてかはわからない。
反射的にくちづけをしていた。

「ん……」

太郎はあずさの目がゆっくりと閉じるのを確認した。
短くも幸せな時間。
太郎は惜しみながら顔を離す。

「……し、してしまった。あ、あずさ先輩と、キ、キスを」

太郎は、あずさの顔を見つめる。

「あずさ先輩は、寝ていた……かな。……結局寝ている時にしてしまったのか」

 

 

太郎は、あずさに毛布を掛け、一階の道場に下りた。
と、同時くらいに道場のドアが開き、ロベルトが入ってきた。

「オー、太郎! どうだった? ちゃんと送ったノ?」

「……上で寝てる」

「エー? why? 何で? まさか、まさか!」

「……とりあえず、すまんがここで寝てくれ。俺もここで寝るから」

「オー! そうだね。相馬先輩が帰ってくるからね」

 

 

早朝。
夏の夜明けは早い。
外は既に明るくなっていた。

ロベルトは足音で目を覚ました。

「ん……オー、あずさ先輩。おはようございます」

「おはよ、ロベルトさん。あたし、お家に帰るね」

「一人で大丈夫ですか?」

「もう明るいから大丈夫だよ」

そう言うと、あずさはそっと道場を後にした。

 

 

しばらくして、相馬が帰ってきた。

「ちっ、あいつら俺様を置いて帰りやがって! おかげで身体中が焼肉臭せーぜ! ……て、なんだあ! てめーら! 何で道場で寝てんだよ!」

「お、押忍。酔って、ここで寝てしまったみたいネ」

「太郎! 貴様も起きろー!」

太郎は相馬に踏まれて起きた。

「いたたた……はっ、ぎゃーー! お、押忍! 相馬先輩! スイマセンでしたあーーー!」

「は? 何が?」

「あ……いえ、その、置いて帰ってしまって」

「そうだった! 貴様ら! 今日は、二日酔いスパルタ稽古が待ってるぜー!」

「オース」

「ひえー」

太郎は、道着に着替えながら、昨夜の出来事を思い出していた。

太郎のファーストキスはカシスオレンジの味だった。

 


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