第45話  将来への不安

 

太郎は、東京都大会で、トーナメントの怖さを知った。
それは強い選手が必ずしも勝ち進めるとは限らないということだ。
ロベルトとの実力差は以前大きい。
が、自分は体重別への切符を掴み、ロベルトは逃した。

「運が良かった。なんたって五十嵐選手に不戦勝だったからな。体重別までの3ヶ月で、実力でトーナメントを勝ち上がる力を付けないとな」

 

3月のある日。
ロベルトは第23回体重別全日本大会への切符を手に入れるために、千葉県大会に出場する。
千葉県には総本山があるので、大会には実力者が多数出場する。
全日本ベスト8で総本山の若頭、自称相馬のライバルの山岸も参戦する。
その事を知った相馬にロベルトは、負けたら締め上げると脅されている。
太郎も当然、応援に行きたかったが、大学の期末の試験日と重なってしまい、そちらを優先することになった。
そう、太郎は大学生なのだ。

 

通学路の地下鉄は久しぶりに乗る気がする。
浪人中はあれだけ憧れたキャンパスも今や来るのも面倒くさい。
しかし学生街には安い定食屋が多数あるのは嬉しい。
太郎は、500円の大盛メンチカツ定食を平らげ、大学に向かう。
今日の試験は教科書の持込みが可能な2教科。
一つは持参しており、もう一つは購買で買うつもりであった。

 

しかし、買う予定の教科書は売り切れていた。
さらに持参した教科書も違う授業のものだった。

教科書の無い状態で試験を受けても無駄である。

「……何のためにここに来たんだ。つーか、俺の阿呆のせいで8単位も落とした」

絶対に取れると思っていた単位だった。

「これで留年が……5年生が決定だな。まさか、3年生の終わりに留年が決まるとは」

だが、太郎はあまり落ち込んでいなかった。それは社会人になるのが1年延びたからだ。

 

 

太郎が久しぶりのキャンパス散策をしていると、声を掛けられた。

「あれ、水河君じゃない?」

太郎は後ろを振り向いた。

「ああ、久しぶり」

声を掛けてきたのは、太郎の同級生の関口だった。
スーツ姿で、真新しい黒いビジネスバックを持っている。

「なんでスーツなの?」

「へえ、何言ってんの?会社説明会の時期じゃん!」

「会社説明会……就職活動?」

「そうだよ、もう3年の期末だよ。説明会ラッシュだよ。水河君は就活始めてないの?」

「う、うん。まだやってない」

「随分のんびりだねー。今日は試験でしょ? どうだった。今日は、俺と同じ社会経済論だったろ? 教科書持込み出来るし余裕だったね」

「……教科書間違えた」

「……はは、そう」

 

二人は学生食堂に移動した。
太郎は入学したての頃、この関口とここに来たのを思い出した。
あの頃は全てが輝いていた。
第一志望の大学に入り、一人暮らしを始め、そのうち彼女でも出来るんじゃ……と、色々な希望に満ちていた時代。
しかし実際は何も成さぬまま、あっという間に2年間が過ぎ、そして、相馬に出会った。

 

太郎は近況説明で空手道場に内弟子として入門し1年が過ぎたことを報告した。
しかし、関口にとってはどうでもいいことのようだ。
それどころか少々呆れているようだった。

「水河君、空手をやるのは、就職が決まってからじゃ駄目なの? 今は俺たちにとってとても重要な時期だぜ。新卒っていう資格を失ったら、まともに就職なんて出来ないよ。一応、俺たち一流大学に通ってんだぜ。もったいないよ」

「そうだね。でも今日の試験落としたんで、多分、留年しちゃうんだ。だからもう1年くらい好きなことが出来るかなって」

太郎には、徐々に関口の表情が変わっていくのがわかった。

「……ちょっと、いいがげんが過ぎるんじゃない? 俺も就活中で偉そうなこと言える立場じゃないけど、もうちょっと将来のことを真剣に考えたほうがいいんじゃない? 充実した毎日を送っているようだけど」

太郎は、なんとも惨めな気持ちになってきた。
毎日の厳しい稽古の果て、入門1年で体重別全日本に出場する。
果ては世界大会へ!
希望に満ちていたが、それは現実逃避であったかもしれない。

青春の全ての時間を空手だけに捧げている自分。
結果が出るのは当然だった。

しかし、明日から空手一筋の生活を辞め、普通の学生になる。
そんなことは考えられない。

「もうちょっと、やってみる。俺、こんなに、一つの事に、集中して、一途になれたことなんてないんだ。もうちょっと」

太郎は、うつむきながら、自問自答しながら、関口に応えた。

「そうか、いや、ごめんよ。ちょっと、きついこと言い過ぎたよ。就活中でちょっとカリカリしてんだな、俺。本当は、水河君のような青春って羨ましいんだよ。俺みたいな普通の男からすればね。ただ、将来へのリスクも大きいからさ。最後はケジメをつけないと駄目だよ。自分の一生に対するケジメを」

「関口君、ありがとう。俺も、もうちょっともがいてみるよ」

関口との再会は、太郎にとって色々なことを考えさせられた。
しかし、今は相馬についていき、ロベルトと一緒に空手をやるだけやってやる。
それが太郎の今の答えだった。

 

 

午後9時頃、相馬とロベルトが帰ってきた。

「おー、大学生! 試験は出来たんだろーなー! こいつ、ロベルトは見事、千葉県大会でベスト8に入り、3ヶ月後の第23回体重別全日本への切符を手に入れたぜよー!」

「おお、ロベ、おめでとー!」

「太郎! やったよー!」

「で、ロベは誰に負けたんです?」

「この野郎は、山岸のくそハゲに負けやがったんだよ!」

「山岸選手、強かったヨ」

「こらっ、てめーが弱いんだよ! 俺様なんて、奴を瞬殺したからなー!」

「そうかー、でもおめでとう、一緒に体重別頑張ろうな!」

「オー、勿論ヨ」

「うむ! 俺様は次の体重別は出ないからな。しっかりとしごいてやんよ!」

「お、押忍」

「オース!」

将来への不安はある。
しかし、今いるこの場所は、この道は、太郎にとって心地の良いものになっていた。

 


NEXT → 第46話 夜を駆け抜ける へ


BACK ← 第44話 中条との激突 へ


 

サブコンテンツ

このページの先頭へ