第39話  清彦と神館長

 

―――――10年前 千葉房総半島 ある日の夕方
総本山道場は、第6回世界大会が終わり、あわただしい雰囲気から解放されたところだった。

 

1台の車は、長い坂道を登りきると、総本山道場の前に停車した。
車から降りたのは、板橋道場師範の相馬源五郎と、中学を卒業したばかりの相馬清彦だった。

学ランをだらしなく着た状態の清彦は、先ほどから悪態をついている。

「おい、親父よお! 空手道場に住み込みで修行とかマジで言ってんのかよ! アホくせえ、俺はやらねえぞ!」

「はは、やらねえったって、先輩たちが逃がしちゃくれないさ」

「じゃあ、全員ボコって帰るだけだ」

「ふふ、ボコれるなら、そうしろ。恐らく身体に触れられもしないさ」

「へっ、じゃあ好きにさせてもらうぜ」

 

道場の正面入り口に着くと、大柄な男が立っていた。

「押忍! 相馬師範! お久しぶりです」

「おお、不動か! えらい活躍だったな。次の世界大会頑張れよ」

不動は、第6回世界大会で準優勝を飾っていた。

「押忍、負けたら切腹するつもりで頑張りますよ」

「ははっ」

相馬は笑い声を上げた。

「大会だか何だか知らねえが、切腹とは恐れいるぜ!」

「おい、キヨ! ……すまんな、不動。息子の清彦だ。こーゆーところを直そうと思って連れて来たんだ」

「押忍、なかなか元気がありますね。それに、いい眼をしている」

不動は清彦の顔をじっと眺める。

「ちっ、気持ち悪りいな」

「まあ、こんな息子だ。こってりしごいてやってくれ」

「押忍。まあ、仲良くやろうや、キヨ」

「……」

 

不動は、相馬源五郎を見送ると、横柄な態度にも構わず、清彦を総本山道場内に迎え入れた。
玄関には白い帯を巻いた大柄な少年が立っていた。
頭は丸坊主で、太い眉。相馬を一瞥している。

「キヨ、こいつは一週間前に入門した同じ内弟子の山岸だ。仲良くな」

「……押忍。山岸です」

「……ふん」

相馬の不遜な態度に山岸の眉間が震える。

「君はそんな恰好で神覇館に入門しようというのか?」

「あ?」

一触即発の雰囲気。

「おいおい、お前たちは同期の桜だぞ。全く」

不動は呆れたように、二人の肩をポンポンと叩いた。

「山岸よ。夜の食事まで、まだいくばくか時間がある。その間、清彦に総本山道場を案内してやってくれ」

「押忍、わかりました」

「ちゃんと案内しろよな、ハゲ」

「……」

 

山岸は納得のいかない顔で道場内を案内する。

 

しかし、清彦の行動は早かった。
自分の部屋を案内された後、窓から脱走した。

すぐに気付いた山岸は、玄関に下り、前から走ってくる清彦の前に立ちふさがる。

「貴様は一体どういうつもりなんだ!」

「そこにつったってると、ぶつかっちゃうよ」

「ここは通さん!」

「しょうがねーなー・・・・・・あらよっと」

「うが」

清彦は、飛び上がり山岸の顔を踏みつけ、そのまま走り去った。

「こ、このやろー……」

山岸が辺りを見回すと、清彦の姿はなかった。

 

 

清彦は道場の裏の森に入った。
既に日は沈み、森の中は真っ暗だった。

「ったく、やってなれねーぜ! 親父も俺が素直に空手やると思ったんかねー?」

 

追手なぞは来ないと思った相馬は、走るのを止め、歩き出した。

「真っ暗だなー、しかし、どこだよここは。森を抜けられても帰れるかなー? つか、帰れても親父が家に入れてくれねーか。……まあ、なんとかなんだろ」

 

相馬は満月の月明かりを頼りに歩を進める。
満月の明かりは強く、目が慣れてくると周りが見えてくる。

「意外に明るいもんだな」

 

しばらく歩いていると相馬に異様な音が聞こえ始めた。

 バシ……バシ……バシ……

「なんだあ? 何の音だ? 何かの事件か? 勘弁してくれよー、ただでさえ暗くて怖えーのによー」

相馬の視界に白い服装をした男が見えた。

「いる、誰かいるぞ! ……動きが止まった。こっちに気づいたな」

その人物は腕を組んで相馬の方を見ているようだ。

「……空手、空手着か? 道場生か。こんな夜中に練習してやがるとは、頭、大丈夫か?」

その男は、相馬に近づいてきた。

「おう、誰じゃい、お主は?」

どうやら老人のようだ。
小柄だが、腹に響くような低い声をしている。

「ああ? そりゃこっちのセリフだぜ! じーさん、こんなところで何やってんの?」

「わしゃあ空手の稽古しとるんじゃい。お前、道場の方から来たな。見たことねーが、何モンじゃい?」

「相馬源五郎の息子の相馬清彦ってんだ」

「ほお、源五郎の。はっは、奴の言ってたドラ息子がお前って訳だ。今日入門すると言っておったな。なんじゃ、初日に脱走とは、優秀な選手だった男の息子としちゃー、ちっと情けねーんじゃねーの?」

「あ? つか、ハナから空手なんてやる気ねーんだよ! 魅力を感じねーからやらねーんだ! 何か間違ってっか?」

「ほほ……いや、ちっとも間違ってないな」

意外な返答に相馬はあっけにとられた。

「おう、だろ」

「……じゃが、せっかく空手道場に来たんだ。何も学ばずに帰るのもつまらんじゃろ。どれ、わしが一つだけ教えたる」

「つか、じーさん、誰よ?」

「ほほほ、わしは神覇館館長の神(じん)じゃ。一番偉いんじゃ」

「う、あんたが神館長?」

この男が神覇館を一代で築き上げた神館長。
父の源五郎からことあるごとに神の話を聞いていた清彦は、まるで歴史上の人物にあったような感覚になった。

「おう、ワシを知っとるか。さすが源五郎、教育が出来とる」

「・・・・・・(神覇館を一代で築いた男……この爺さんが)」

 

神はしばらく清彦を眺めた後、近くに立っている巨木を叩いて言った。

「小僧、この木ィ突いて見ろ」

そこには、周りの木とは比べ物にならないくらいの巨木が立っていた。

「こ、小僧だと……つか、木なんて突いたら痛てーだけだろ」

「なんじゃ、怖いんか? いきがっとるクセに、手が痛いのが怖いんか?」

「あ? つか、何だよ、木の殴りかたを教えてくれるのかよ」

「そーじゃ、それだけ」

「……ちっ、やってやんよ。くだらねーけどな」

そう言うと相馬は、拳を握り木を突いた。

 ゴッ!

「痛っ、これでいいかよ」

「ふぉほほ、なんじゃい。それっぽっちか、お前の男は?」

「ああ? 男?」

「そうじゃ。突き方で男を見るんじゃ。後先考えない突き、全力の突き……男を計るにはいい尺度じゃろ?」

「へっ、その男とやらを見せて怪我したらただの馬鹿だろ」

「確かに馬鹿、大馬鹿じゃ」

神は、首を傾けて鳴らした。

「ただ、そんな大馬鹿をワシは二人だけしか見たことがない。空手も始めてない、拳も鍛えてない。そんな状態で樹木を全力で突いた男をな。ワシは長年、見込みありと見た男に、この巨木を叩かせとるんじゃがなー」

「……二人」

「一人は、後ろの総本山道場で修業中の不動! お前と違って礼儀正しく入門してきたけどな。初心者にしては腰の入ったいい突きじゃった。骨折したがな」

「……あいつか」

「不動は幾多の大会で結果を残してきており、ついに去年の世界大会では準優勝もした。今、神覇館で一番活きのいい男じゃ」

「……(あいつ、凄いんだな)」

「もう一人はブラジルのレオナルド。出会った時はまだあどけない少年じゃった。歳はお前と同じくらいか。空手見学に来てなー、同じようにここでやらせたんじゃよ。拳から血が止まらなくなってな。奴は、16歳にして世界大会でベスト8に入った! 今も、ブラジルの道場で稽古しとるが、アイツは強くなるぞ」

「……レオナルド」

「ちゅー訳で、お前はたいしたことなさそーじゃな。老人を敬う気持ちもなさそーじゃし。自分の情けなさが分かったら、行け」

相馬は、なんとも悔しい気持ちになってきた。相馬は、神を睨みつけ言い放った。

「木を全力で、後先考えず殴れる奴が凄いってか? 馬鹿馬鹿しい! いいぜ、やってやんよ、空手をよ。不動だか、レオナルドだか知らねーが、俺様がぶっ倒してやるぜ! じーさん、見とけ!」

「ふぉほほほ、なんじゃ、やるんか。よほど悔しかったとみえるな。いいじゃろ、今日から総本山の内弟子として頑張ってみろ。それにな、ワシはお前に空手のセンスありと見た。総本山はとかく伝統やら何やらにうるさいところじゃが、まあ、自由にやって見なさい」

「ちっ、さっきはたいしたことないとか言ってやがったくせに。まあ、そんじゃ自由にやらせてもらうぜ。嫌になったら辞めるけどな」

「ふぁはは、好きにしろ」

相馬は、カバンを拾い道場に戻ろうとしたが、またカバンを置き、神の前に立った。

「空手を始めるんなら、ケジメをつけないとな」

そう言うと、顔の前で十字を切り、

「押忍、今日から、よろしくお願いします……これでいいですかい?」

相馬は、神に頭を下げ、カバンをわしづかみにして道場に向かった。

「ほほほ、素直じゃない奴じゃ。じゃが、確かに見所ありじゃな。あやつ、時代を作るかもな」―――――

 

 

 

相馬は、昔話を終えると、ベンチプレスの台から立ち上がり、身体を伸ばした。

「実際にあの後、不動先輩やレオナルドは世界大会で優勝した。神館長の訳のわからねえ男の計り方は、なまじ間違ってはいなかったって訳だ」

「……そうだね」

「そして、俺は、出会っちまったんだよ。偶然に、同じ場所で、あの巨木に全力で拳をぶつけた馬鹿に」

「それが……太郎さん」

「ああ」

あずさはしきりに頷いている。

「ふーん、ふーん、そうなんだー、へえー、うんうん」

「……何だよ」

「いやー、だって、太郎さんって、決してお兄ちゃんが気に入るタイプじゃなかったじゃん。何か自身なさげなオーラが出てたし。それなのに弟子にするって。ずっと不思議だったんだ。へー、凄いんだ、太郎さん」

「まだ、わかんねーよ。ただの馬鹿なもやし野郎かもしんねーし」

「それに……お兄ちゃん、運命みたいなのを感じちゃったんじゃないの? ロマンチストなんだねー、意外と」

「ああ? お、俺が! ……ちっ、練習の邪魔だがらどっか行けよ」

「はいはーい、じゃあ、練習頑張ってね」

「ふん、うるせー妹だな」

相馬は階段を下りるあずさを見送ると、ふっと笑みを浮かべた。

 


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