第1話  月明かりの森

 

深夜、一台の軽自動車が房総半島と呼ばれる千葉県の南内陸部、山間の道路を走っていた。

運転しているのは水河太郎。
東京の私立大学に通う21歳。

東京都内で一人暮らしをしている太郎は、三年生に進級する直前の春休みを利用して千葉の実家に帰省していた。

今、太郎は唯一の趣味である『独りドライブ』を楽しんでいる。
ドライブと言っても深夜の田舎道でスピードを出してみるわけでもなく、ただ目的地も無く走り続けるだけだ。

太郎のドライブコースはいつも決まっており、実家のある千葉中央部から国道を東に向かい、太平洋側に出る。
そして、海に面した九十九里浜沿いの県道を南に走り、途中内陸に入る。
そこから車通りも電燈も少ない山間部をひた走る、というもの。

何が楽しいという訳でもない。
しかし、実家に帰る度にこんな孤独なドライブを繰り返すのだった。

 

太郎は思う。
自分の青春って何なのだろうか、と。

親に頭を下げ、受験浪人をさせてもらい、結果希望の大学に進学出来たものの、入学してみても、そこには何も無かった。
有名大学の学生という肩書だけだった。

学業に専念するわけでもなく、さして仲の良い友人もできず、恋焦がれる女性と出会うこともない。
くわえて金も無く、ただマンションと大学の往復を繰り返すのみ。

しばらくすると、大学からも足が遠のいた。
恐らくは留年するのだろう。

三年生に進学する時点で留年がちらつくなんて。
親に何て説明すればいいのだ。

どうせ大学に行かないのならアルバイトの日数を増やそうか、と考えたこともあった。
しかし、週三日が限界だった。

簡単にお金が手に入らないかな。

しかし金があったところで、何に遣おうというのか。
そもそも日々の膨大な時間をもてあましているのだ。

つまらない、何も無い。

太郎はろくな青春を送っていなかった。

 

山間部の道路は狭い。
それでいて電燈などはほとんどないので、とても暗い。

ところどころに『車のライトはハイビームに』という注意書きの看板が見られる。
深夜の山道ということもあり、対向車を気にする必要はあまりない。

たまに道路にはみ出た枝がバックミラーにあたり、カンとかコンとか音を鳴らしている。
道路が舗装されていない所もあり、車が上下に弾み、メガネがずれたりする。

左手でくいっと、メガネを上げる。
が、すぐにずれ落ちる。

そろそろ新しいものに買い替える時期かもしれない。

 

しばらく聞いていた音楽も消してしまっており、聞こえてくるのはガタゴト言う車の音だけ。

太郎は、先ほどからラジオのチャンネルをくり返し回している。

『……ビビ……今夜のゲストは……ビビ……さんです……』

だいぶ山奥に入ったので電波が悪いようだ。
何の番組なのだろうか。
ゲストが誰だか分からない。

『……あるある、俺も昨日さ……ビビビ』

何があったのか。
どうせくだらない話だろう。

『……ビビ、本日……館で行われた……限界……、ガガ、なんと……達成しました。……レオナ…ド…病院に……』

病院。
何かの事故かな。

もはや何の話題かも分からない。

「やっぱりこんな山の中じゃあAMでも音が悪いなあ」 

太郎は耳触りなラジオを消した。

 

 

数時間も山道を進むと、だんだんと道路が広くなってくる。
車は、左手に山々を一望できる場所に出た。

一望といっても光は月の明かりしかない。
かろうじて空と山を区別出来るラインが分かる程度。

「ふう。そろそろ外に出てみるかあ」

車のエンジンを切り、缶コーヒーを持って外に出る。

うーん、と声にもならない声を上げ、身体を伸ばす。

この山道は基本的に一車線の狭い道路だ。

しかし、対向車を避けるため、ところどころにもう一車線分のスペースが確保されている部分がある。

太郎はたいてい、その中でも特に道路が広くなるこの辺りに停車し、小休止していた。

 

二月の山風は冷たい。
コーヒーはホットで買ったが既にぬるくなっていた。

「寒い! 半端な寒さじゃないな」

高校生の時に母に買ってもらった白いダウンジャケットを羽織る。
かなり厚手のものだが、車の外は身体に直接突き刺さるような寒さ。

「それにしても……今夜は、月がきれいだ」

空を見上げると、大きな満月が闇夜を照らしている。
電燈もない山の中では眩しいくらいだ。

「うん、一句浮かんだぞ。『おつきさま あなたの光に包まれながら いとしのあのこといっしょになりたい』……って、五七五でもないし、短歌でもないし、標語? しかも、いとしのあの子なんていないしなあ。俺ってば、俳句の才能もないんだな」

しかし太郎には、満月がきらりと光り、返事をしたような気がした。

月は太郎の右側に広がるなだらかな斜面の森も照らしている。

そのなだらかな山の頂上付近には大きなお寺のような建物が立っている。
ここに来るといつも見る風景だ。

「あの建物はお寺なのかなあ。それにしても大きいしなあ。昔の偉いお坊さんが建てたんだな、きっと」

太郎は山の澄んだ空気を存分に味わい、車に戻ろうとした、その時。何やら不思議な音が耳に入って来た。

 

ガッ…… ガッ…… ガ……

 

右手に広がる森の中からだ。
何かを打ちつけているような音が。
もう一度耳を澄ませる。

 

ガ…… ガッ…… ガ……

 

確かに聞こえる。

何だろう。
あの寺の鐘の音だろうか。

いや、到底金属音には聞こえない。
まるで鈍器で何かを打ちつけるような。

 

ガ……  ガ……

 

「……まさか、殺人事件かなあ?」

遺体を山林に遺棄したなんて話は、ニュースでよく流れている。

「こ、怖い……が、ちょっと興味もある」

 

美しい月の光に惑わされたのか。
空き缶を車の中に戻し、太郎は森の中に入ることにした。

もちろん懐中電灯などは無い。

「深夜の森に潜入する。その奥には悪の秘密結社のアジトがある。俺は改造され、怪人達との闘いの日々へ。ふふ、単調な生活におさらばだぜ……と、その前に、この世からおさらばしてしまうかもしれないけど。ぞーっ!」

さすがに今のは、くだらなすぎる独り言だったと反省する太郎。

気を取り直して、深く深呼吸し、森の中へ入っていった。

しかし、不思議な音がするくらいで果たして深夜の森の中に入っていく人間がどれほどいるのだろうか。

何かに引き寄せられているような。
そんな不思議な感覚がした。

 

太郎は震えながら森の奥へ進んでいった。

凍えるような寒さ。

きしむ枯れ枝の音。

「俺って、超暇人だな。きっと、こんなところに来ても得られるものなんて何にもないよ」

寒さでかじかむ鼻をかすめる土の匂い。

「しかし、こんな経験をしてるのに……明日この話をする友達がいないなんて、寂しすぎるよなー」

得意の独り言も、暗い森の中では調子が上がらない。 

 

 

目が慣れてくると、段々と視界は青みがかってきた。

「月って結構明るいんだな」

月の光は太郎の周りを映し出してゆく。

風が拭けば木々はそよぐ。

何だか落ち着いてくると森の独特の匂いも清々しく感じることが出来るようになってきた。

 

と、次の瞬間、視界の奥に何かが見えた。
それは不思議な音の音源のようだった。

「何だ? 何か動いている」

音のする方に、確かに何かいる。
白い物体が、何やら動いている。

人だ。

人がいる。

「一体、何をしているんだ? こんな深夜に、それもこんな森の奥で!」

どうする?

進むか?

確認するか?

太郎は心臓の鼓動が早くなっていくのを感じた。

すると突然、その白い人物は、太郎の方に向かって声を上げた。

 

『誰だ! 誰かいんのか!?』

 

男の声が聞こえた。

「うわあああああ、見つかったああ! どうする? どうする? 逃げるか? 洒落にならないかもー!」

太郎はもと来た道に戻ろうとするが、足が絡まってまるで違う方向へ足が進む。
そして、大きく窪んだところに転がり落ちてしまった。

二十歳を過ぎて森の中でででんぐり返りすることになるとは。

「痛たたた……ぺっぺっ! 土が口に入った」

 

『誰? 何やってんの、こんなところで?』

 

太郎が上を見上げると、白い服装の男が屈んで、こちらを見下ろしていた。

「ぎゃあああああ!」

太郎は腰が抜けて動けなくなってしまった。

 


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