千葉県、太平洋側のコンビナートが立ち並ぶ風景が続く。
夕暮れの空は、オレンジ色に輝いている。

しばらくして内陸部に入る。
同じだ。
太郎の良く知っている道路。

岩村の運転するバンには、初心者大会の時同様に、助手席に太郎、後部座席には、ロベルトと相馬。
ロベルトは、頭を後ろにもたれて大いびき。
相馬は腕組みをして、やはり寝ているようだ。

明日は、第37回全日本大会。
板橋道場からは、昨年度大会第3位の相馬が出場する。
太郎とロベルトはそのセコンドとしてつくことに。

「太郎君。今日は、いやに外ばかり見ているね」

さきほどからしきりに外を眺めている太郎が気になったのか、岩村が話しかける。

「押忍。このあたりは自分も良く知っているもので」

「ああ、太郎君は、千葉出身だったよね。でも、太郎君の住んでた千葉市からは随分離れてしまったけど」

「押忍。自分、一人でドライブするのが趣味でして。たまに実家に帰ると、車でこの辺りを走ってたんです」

「なるほどー。そうだったんだね」

人生わからないものだ。
今、走っている道は、まさに太郎が独りドライブをしていた時の道。

車は、山間部に入る。
太郎がこの辺りを走る時は、決まって深夜。
電燈などはないので、ライトを消せば真っ暗闇。
だが、今はまだライトをつける時間にはなっていない。

太郎の見慣れた看板もちらほら。
『車のライトはハイビームに』と赤字で書かれた細長い看板は、良く見ると水色の板であることがわかった。

「ほら、総本山の武道場が見えてきたよ」

「あっ、やっぱり!」

太郎の視線の先には、山の上に座っているお堂のような建物。

太郎が長い間、何の建物だかわからなかった、この建物は、神覇館空手総本山武道場であったのだった。

年に一度、男たちの熾烈な戦いの場と化す。

本当にこんな山の中で、全日本大会を。
四年に一度は世界大会を行うのか。
そんな疑問があったが、会場に到着するとそんな疑いは吹き飛んだ。

「広い……」

長い長い坂道を登りきると、そこには広大な駐車場が広がっていた。
前日だというのに、駐車場にはそこそこの数の車が止まっていた。

 

神覇館総本山には、いろいろな施設が併設されていた。
駐車場の左手には、総本山道場、その横には5階建ての建物。
正面やや東側には、総本山武道場が鎮座している。
そして、右手からは、房総から太平洋を一望できた。

総本山道場。
三階建ての建物で、古い木造。
一階には、事務室、神覇館の資料展示場、応接間や全国師範会議を行う広間。
他にも様々な部屋ある。
そして廊下伝いの一番奥には、100畳ほどある広い稽古上があり、ここで総本山の道場生は汗を流している。
二階には、トレーニングルームがあり、ウェイトトレーニング用の器機やマットなどが置いてある。
そして、その横には、主に総本山の内弟子や選手候補生などが稽古をする稽古場がある。
ちなみに、元々総本山で修業をしていた板橋道場の相馬源五郎は、総本山のこのような造りに影響を受け、自らの道場にも二階にウェイトトレーニングルームを設けることにしたのだった。
総本山の三階には、師範である不動の部屋や、館長である神の部屋。
そして、めったには使われないが、やはり稽古場が設置されていた。

総本山道場から30mほど離れたところには、世界各国からの来客や大会前日には選手関係者などが寝泊まりすることが出来る、宿泊施設が建っている。
こちらは道場と打って変わって、鉄筋コンクリート造りの5階建て建物であり、総本山道場からは渡り廊下でつながっている。
総本山の内弟子たちの住居は、この建物の一階にある。
太郎らも今日、明日とこの宿舎にお世話になることになる。

駐車場に車を止め、太郎らは宿舎に向かう。

「ふあー、良く寝た。岩村さん、毎年ありがとうございます」

相馬は、大きなドラムバックを太郎とロベルトに持たせる。

「押ー忍、相馬先輩。なんだか体重別のときより荷物が多いような」

「あん?糞太郎。なんか文句あっか?」

「いえ、なんでかなーって」

「全日本大会は二日間あっからよ、道着を二着用意してんだよ」

「え?体重別も二日間ですよね?」

「うるせー!ジンクソだよジンクソ!俺は、毎年全日本の時は、二着用意すんだよ!ちなみに世界大会は三日間あるから、三着だ!てめーら、そん時は持てよな!」

岩村も太郎も相馬の言い間違いに気づかぬふりをしていたが、ロベルトはお構いなしに笑いだした。

「ハハハハ!オー、ソウマ先輩、それを言うなら、ジンクスですヨ。ちなみにボクの母国のアメリカでは、ジンクスは縁起の悪いという……」

うんちくを披露する間もなく、ロベルトは相馬の上段回し蹴りを受け、昏倒した。

宿舎に到着すると、茶帯を締め、総本山特有の丸刈りをした小柄な男が立っていた。

「押忍、相馬先輩。お待ちしておりました。内弟子の百瀬です」

「おう、百瀬か。久しぶりだな」

「今夜、泊まっていただくお部屋をご案内いたします」

太郎よりもいくつか若いであろう、その男は、太郎らを宿泊施設の中に案内した。

「百瀬よ。おめーも、来年体重別狙ってんだろ?」

「押忍。是非出場したいと思っております」

「ってことは、三ヶ月後の東京都大会か」

恐らくは、体重別全日本大会の出場資格のことを言っているのだろう。
初出場となれば、地方大会などで入賞等をしなければ、体重別全日本の舞台に上がることはできない。

「押忍」

百瀬は、頭を下げた。

「なら、紹介しとくぜ。俺様の弟子の太郎とロベルトだ。2月の東京都大会にはもちろん出場させるつもりだ」

「太郎さんに、ロベルトさんですね」

「太郎も百瀬もタッパがねえから軽量級だろーな。よろしく頼むぜ」

「ひ、た、太郎です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いいたします」

百瀬は、相馬らを4階の部屋まで案内し、また入口へ戻って行った。

「相馬先輩。やっぱり総本山の皆さんは独特の雰囲気を持ってますね」

「おう、あいつは中学卒業してすぐ総本山に入門したらしいからな。まだ17、18歳くらいじゃねーの?」

「えー、若いですねえ」

「総本山の内弟子なんて、ほとんど中卒だよ」

「そういえば、相馬先輩は総本山にどのくらいいらっしゃったんですか?」

「俺は、16から20歳までだな。多感な青春時代を、汗臭せー総本山道場で過ごしたって訳よ」

「なんで総本山を出たんですか?」

「ちっ、質問ばっか、しやがって。面接官かてめーは」

「ひ、し、失礼しました」

「……そうだな。段々と、俺と合わなくなってきたんだな、きっと。理念的なところだ」

「り、理念ですか」

宿舎の一階広間で、軽い夕食を食べた後、これまた広い風呂に入り、太郎やロベルト、岩村は長旅の疲れからか、すぐに寝てしまった。
相馬は、部屋の窓際に椅子を動かし、月夜を眺めていた。

「理念か。あの時、偉そうなことを言って総本山を出て行ったが。俺は正しかったのか、正しくなかったのか。未だにわかんねーな」

相馬は、5年前。
不動とした電話での会話を思い出した。

……「押忍、不動先輩。わざわざ電話いただいてスンマセン。ブラジルの飯はどうっすか?」

『ああ、うまいよ。それに、私は食に好き嫌いはないんでね』

「世界王者ってことで、うまいもんばっか出されているんじゃないですか」

『ふふ。そうかもな』

不動は、第7回世界大会を制した後、総本山師範代として館長の神と一緒に海外支部視察を行っていた。
この時は、ブラジルに滞在していた。

『それより、キヨ。お前最近稽古に出てないそうじゃないか。お前の同期の山岸から毎日のように報告がきてるぞ』

「ちっ、あのハゲ。別にどうってことないですよ。今はやりの引きこもりってやつです」

『キヨ、もったいないじゃないか。先日の第32回全日本大会で、初出場で6位。このまま稽古を続けていれば、世界大会出場も夢じゃない』

「このまま、ここで、総本山で稽古を続けていてもですか?」

『ん?総本山の稽古が辛くなったか?』

「そんなわけないじゃないですか。そうじゃなくって、その、うまく言えないですけど、今の総本山で稽古を続けていても、優れた空手家にはなれないじゃないかって、思うんです」

『ほお、どういうことかな』

「近年の海外勢の成長っぷりに、日本も危機感を抱いている。総本山は、特にです」

『ふむ』

「そこで海外遠征経験豊富な不動先輩は、総本山に海外仕込みの選手育成の稽古方法を取り入れた。試合を見越したコンビネーション稽古、ミット打ち、スパーリング。そして、不動先輩は見事世界王者になられた」

『うん、まあ、そうだな』

「しかし、不動先輩が選手育成用の稽古をするのと、他の奴がするのじゃ全く訳が違うんです」

『と、言うと?』

「不動先輩は、基本、移動、基礎体力、その他空手の基本部分をとことんまでやりこんで、さらに選手稽古もしていた。でも、今の総本山は、そういった空手の基本部分がおろそかになり、カッコのいい選手稽古ばかりが目立つようになってきた。全日本クラスの選手で拳立てを全くやらない奴もいるんです」

『……』

「選手稽古は、短期間である程度の実力をつけることはできます。でも、その先はない。“伸びしろ”がないんです」

『うーむ、確かにな』

「俺は、去年の世界大会を見てわかったんです。ブラジルのレオナルド。アメリカのリチャード、ロシアのミハイル、アレクサンドル。不動先輩のいないこの先、奴らの時代になるはずです。次回の世界大会は、ベスト8に日本人は一人も入らないかもしれません」

『そうか。お前はお前のやり方で空手道を進みたいということだな』

「迷っていましたが、不動先輩と話しているうちに気持ちの整理ができました。俺は総本山を出ます」

『そうか。まあ、私は止めはせんよ。お前を可愛がっていた神館長悲しむだろうがな』

「すいません。不動先輩にもお世話になりました」

『キヨ。私にここまで言い切ったんだ。結果が求められるぞ』

「押忍、わかってます」

『ふ。お前や、お前の育てる弟子たちの活躍が楽しみだな』

「不動先輩。俺は他人に教えるのは嫌いなんですよ。知ってるでしょ」

『無論だ。だが、お前ひとりの活躍では、お前の考え方が正しいかわからないじゃないか。なんたって、お前は天才空手家なんだろ?お前が結果を出すのは当然じゃないか』

「ははは。確かに。まあ、そのうちに」

『キヨ。意地を張るのも大事だが、時には逃げることも重要だぞ。挫折し、心が折れ、死ぬほどの辛酸をなめる。そんな時は逃げてしまってもいい。お前なら、いつか必ず大成する』

「押忍。ありがとうございます。でも俺は逃げませんよ。意地っぱりなもんでね」

『ふふ。期待してるぞ』

……「不動先輩。嬉しいですよ。まさか、あなたと同じ戦いの舞台に立てるなんて」

相馬は、テーブルに広げてあった、第37回全日本大会のトーナメント表を掴みとった。

ゼッケン32番、不動暁。

伝説の王者は、再び全日本の表舞台に姿を現す。

 

第37回全日本大会トーナメント表

 


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