第16話  近づく体重別

 

開催が来月に迫る、第22回体重別全日本大会へ照準を合わせ、相馬が動き出す。

太郎とロベルトは、相馬が空手の稽古をしているところを見たことがなかった。
日夜、相馬にしごかれていたものの、自分の稽古はしない相馬。
しかし、時たま見せる技の見本においては、ため息の出る完成度。
加えて、到底口だけの男ではないという実績。
体重別全日本大会優勝、全日本大会第3位などの成績は聞いたことがある。
もしかしたら、もっと多くの結果を残しているのかもしれない。

その日、相馬ら三人は昼食を終え、道場に戻ってきた。

「ちっ、毎度のことながら、あのラーメン屋!なめてやがるなあ」

「押ー忍、自分はおいしかったですが」

「ボケ!んなことはわかってんだよ。俺が言いたいのは、本気を出してやがらねーなってことよ。あの糞店は、店長がいないとテキトーに作りやがるのよ」

「押忍。そうなんですね」

「オイシカッタヨ」

「ちっ」

相馬らが、道場の入口を開けると、あずさが床をホウキで掃除していた。

「あっ、おかえりなさーい」

そう言って、両手で持っていたホウキを片手に持ち替え、軽く手を振る。
毎度のことながら、そんなあずさの仕草にしびれながら、太郎はまともに目を見ることもできずにいた。

「なんだ、あずさ。今日は大学じゃねーの?」

「今日は休校日なの」

「ふーん」

あずさは太郎と同じ年で、今は大学4年生だ。
太郎は1年大学受験浪人をしていたので、今は3年生。

太郎は、あずさがどこの大学に通っているのか、就職は決まったのか、全然知らなかった。
今は5月なので、もしかしたら就職活動中なのかもしれない。
遠い。
あずさとの距離は一向に近づかなかった。

「今日から体重別に向けた稽古をすっからよ。きれいにしといてくれよな」

「言われなくても、いつもきれいにしてますよ。お兄ちゃんは全く掃除しないくせに」

頬を膨らますあずさ。
可愛い。
そして、辛い。

「じゃあ、お兄ちゃんの稽古、久しぶりに見学させてもらおうかな」

「ちっ、別にいいけど邪魔すんなよな」

あずさは、事務室に入り、椅子を運び出してきた。

「おらー、てめーら、とっとと着替えんかい!」

「押ー忍」「オス」

空手着に着替えた太郎とロベルト。
相馬はというと、下は空手の道着で上はTシャツ。
あずさは道場の端で小さく座っている。

「今日から一ヶ月。てめーらには俺の稽古の手伝いをしてもらう」

「押忍」

「つっても、いきなりスパーリングの相手をしろなんて言わねーから安心しろ。俺には天性の組手センスが備わってっからよ。スパーリング稽古なんかは、あんましやらねーんだ」

「押ー忍」

相馬は、普通に立っている状態から左足を大きく抱え上げ、左上段回し蹴りで空中を切り裂き、そのままの流れで身体を一回転させ、もとの立ち位置に戻った。
何事もなかったかのように。

「おおー、凄い」

素人でもわかるであろう。
相馬の放つ蹴りの美しき放物線。

「ふふ。これから一ヶ月間、メインでやるのは、技の完成度アップよ」

「ふえー、今よりもさらに磨きをかけるんですか」

「モチのロンだぜ。華麗な一撃で、相手を血祭りに上げるためにな」

「オー、チマツリ」

「だから、てめーらには、ミットなんかを持ってもらうことが増えるが……特に太郎!ちゃんと持っとれよ!」

「お、押忍」

「それじゃあ、始めるかあ」

相馬は、軽く準備運動をした後、太郎とロベルトに互いに距離をとるように命じた。

「これからシャドーを行う。その場で、相手を想像して、突きや蹴りの動作をする。集中力を保つために、2分を1セットにする」

「押忍」

「本来シャドーは、相手を想定し、相手の攻撃に対して、受けたり、捌いたりって動作をするもんなんだが、てめーらは、受けなんか考えなくてもいいからな」

「オス」

「とにかく相手をイメージして、攻撃することを考えるんだ」

「押ー忍」

「とりあえず俺は、10セットを10秒のインターバル(小休止)でやるが、お前らは5セットでいいぜ。まだ、先があるからな」

「5セットですね」

「ヘイ、ロベルト!ツーミニッツ、ファイブセット、OK?」

「オース!」

相馬は、事務室横の棚に置いてあったストップウォッチを掴みとり、2分と10秒のサイクルで設定し、壁に掛けた。

「じゃあ、やるぞ。……始めい!」

シャドーは普段の稽古でも行っているので、要領はわかっているつもりだ。
太郎は、架空の相手を想定して、突きを打ち、蹴りを放つ。

しかし、しばらくして太郎の手は止まり始めてしまった。
それは、相馬のシャドーにくぎ付けになってしまったからだった。
まるで本当に目の前に対戦相手がいるかのよう。
相馬は、突きをガードし、あるいは捌き、蹴りを脛受けをし、カウンターを入れる。
すばやい突きの連打から、上段への蹴り。
そして、後ろ回し蹴りや、踵落としなどの大技にまで繋げる。
これらの動作を、軽やかなステップに乗せていく。

太郎は、相馬の動きをしばらく見ていたい衝動に駆られたが、怒鳴られないように、自分のシャドーに集中することにした。

『ピピピピピピ』

スタートから2分が経ち、ストップウォッチのアラーム音が鳴り響く。

「よし、止め!10秒後にすぐ始まるぞ」

「押ー忍」「オス」

ビックミットでスタミナ面を鍛えた太郎とロベルトであったが、1ラウンドが終わったところで、肩で息をする状態になった。
シャドーには、ビックミットとは違う疲れが襲ってくる。
ビックミットは、自らが放った攻撃を全て吸収してくれる。
対してシャドーは、自らが放った攻撃の勢いや力を自分で持ち帰らなければならない。
よって、体勢を崩さないように、攻撃を繋いでいくには、身体の軸がぶれないようにしなければならない。
そのことで、ビックミットとは違う部位に疲労がたまるのだ。

2ラウンド目の開始アラームが鳴る。

「しゃあ、始めっ!」

「おーし」

 

セットが進むたびに、身体が重くなってゆく。
乳酸がたまってくるのだ。

「おらー、てめーら疲れてきたら声を出さんかい!気合いじゃあ!!」

「ひー、押ー忍!」「ウガー」

『ピピピピピピ』

ようやく5セット目の終了アラームが鳴った。
太郎はやっと終わったかと袖で汗をふく。
が、ふと見るとロベルトはシャドーを止める気配がない。
5ラウンドまで、という相馬の指示を理解できていないのか。
しかし、そんなことは問題ではなかった。
既に差をつけられている同期のロベルトが止めないのだ。
太郎も止めるわけにはいかない。

アラームが鳴ると、三人ともシャドーを開始した。

「お?てめーら根性あるな!俺は止めねーぜ!」

「おっしゃー!」

「ガオオオオー」

結局三人とも、シャドー10セットをやりきった。
太郎は、言われていたノルマ以上にやり抜いたことが誇らしかった。
両手を膝にあてて、荒く息を吐き出す。
汗がアゴからしたたり落ちている。

と、相馬の叫び声が響いた。

「太郎よ!シャドー10セットこなしたのは褒めてやる。だが、膝に手をついて休むんじゃねー!」

「押忍!」

「稽古中は休む時も自然体でいろ!空手は意地でやるもんだ!」

太郎は、相馬の叱責を受けて、すぐに背筋を伸ばした。

「押ー忍、失礼しましたー!」

そうだ、意地だ。
男は意地を張るんだ!

「おーし!次は蹴り技だ!細かい動作は親父に習ってるだろうから説明はしねーぞ!」

「押忍!」「オス」

「各種目とも1分づつ、”その場蹴り”だ。さっきと同じくインターバルは10秒だ」

その場蹴りとは、蹴り技各種をその場で行うことだ。

蹴り技は、多種にわたっている。
膝を曲げずに、そのまま頭上まで蹴り上げる”蹴上げ”。
同じく膝を曲げずに、足を時計回りや反時計回りで蹴り上げる”内回し蹴り””外回し蹴り”。
その他、”膝蹴り””前蹴り””回し蹴り””後ろ回し蹴り”などに進んでいく。

「よーし、始めるぞ!」

足技の稽古が始まる。

それにしても相馬の足技の美しさ。
身体の中心線をまっすぐに保ったまま、どの蹴りも左右1分間全く同じ動作。
蹴り足は、頭上よりもさらに高く上がる。

それに比べて、太郎とロベルトは軸が右に左に。
相馬の怒号が飛ぶ。

「糞野郎ども!集中しやがれ!」

「お、押ー忍ぅ」「ウギギ、オス」

「今を試合中だと思え!相手も疲れてんだ!より男を見せた方が勝つんだ!」

男を見せた方が勝つ。
なんてかっこいい世界なんだろうか。
太郎はより一層の気合いを入れた。

「おりゃー!」

太郎とロベルトは、相馬の技の見本を見ながら、そして、お互いの蹴り技を見ながら意地を張り続けた。
より高い位置まで足を上げる。
よりバランスを保ちつづける。
より声を出す。

そして、ようやく蹴り技が終了した。

「おー、よく付いてきたなあ。まあ今日はこんなとこにしとくかあ」

「押ー忍……」「ハーハー、オス」

「次は、俺様が技の打ち込みやっからなあ。ミット持ち頼むぜ」

「押忍」

もはや、太郎とロベルトはまともに立っているのも辛い状態だった。
しかし相馬は、ようやく身体が温まってきたという感じで、そこから延々と蹴り技を中心にミット打ちを一時間ほど行った。
その技のどれもが、キレのある、美しいものだった。

「ふー、今日はこんなもんでいいや。明日からもちっと長く付き合ってもらうぜ」

「押忍」「オース」

稽古が終わり、太郎はハッとした。
視界に椅子に座り、満足気な顔をしているあずさが入ってきたからだ。
あずさが見学をしていたのをすっかり忘れていたのだ。
それほどまでに稽古に集中していた太郎。
太郎も満足気のある顔になっていた。

 

【第22回体重別全日本大会】

 


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