第14話  なんだこの差は

 

「ひっく、ひっく……」

ようやく、涙が収まってきた。
泣くと同時に始まるこのある種の痙攣は、しゃっくりと同じような原理らしいことを、以前何かの本で読んだことがあった。
横隔膜の震えだったかな。
原因はわかっていないようだ。
ともあれ、二十歳を超えてこんな経験をするなんて。

太郎は、一人こもってい個室トイレのドアをそっと開いて、周りに誰かいないか確認した。
どこかの道場の少年部らしい子供が一人用を足しているだけだった。

太郎は何事もなかったかのように、そっと洗面台に向かった。
鏡を見ると、目の周りが赤く腫れ上がり、唇は渇いている。
酷い顔・・・・・・。

顔を洗い、道着の袖で荒くふき取った。

男子トイレから出ると、太郎はドキッとした。
壁際にあずさが立っていたからだ。
あずさは持っていた黄緑色で生地の厚いフェイスタオルを太郎に手渡した。
あずさが握りしめていたからか、ほんのりと温かい。

「いい試合でしたよ。また次の大会で頑張って下さいね」

「お、押忍。ありがとうございます」

太郎は、まともにあずさの顔を見ることができなかった。
受け取ったタオルに視線を落とす。

「志賀君を倒すんでしょ。私は応援してますから」

そう言うと、あずさは試合場の方へ戻っていった。
太郎は大きく息を吐き出した。
なんとも情けない気持ちにさいなまれた。

「はああ、あずさ先輩に嫌われたかなあ。あんなに大泣きしてしまって」

太郎は、タオルを口元に押し当て、大きく息を吸った。
うっすらとした石鹸の匂い。
だが太郎にとっては、何だか違う世界の匂いのようだった。
幸せで、切ない匂い。

「もうすぐ、ロベルトの試合だな。行くか」

 

会場に戻ると、ロベルトの出番は次らしく、檀上の前に座っていた。
現れた太郎に気づいた相馬は、腕組みをして、太郎を睨み付ける。

「おらー、太郎!てめーは、いつまで泣いてやがんだよ!ったく、女々しい野郎だぜ」

「押忍、すいませんでした」

「次は、ロべの出番だからよー、しっかり応援しろよな」

「押忍」

『ゼッケン21番、浅沼選手!ゼッケン22番、ロベルト選手』

「オース!」

名前を呼ばれ、ロベルトはゆっくりと檀上に上がる。
表情は硬くない。
やや口角が上がっており、自信が感じられる。

「ロべー!てめー、負けたら張り倒すからなあ!」

相馬の蛮声を受け、ロベルトは板橋道場の面々に振り向いた。

「オース、ガンバリマース!」

そう言うと、皆に向けてガッツポーズをとった。

「こらっ、試合場では私語を慎め!それにな、大会でのガッツポーズはご法度だぞ。気をつけろ」

ロベルトは主審に厳重注意を受ける。
言っている意味を理解したかどうかはわからないが、何度も十字を切って謝っている。

「がはははは、ロべの野郎。いい根性してやがるぜ。お前も、あのくらい図々しくならないとな」

相馬に肩を叩かれ、太郎は小さく返事をした。
太郎は、ロベルトのお気楽さを分けてほしい気もちになった。

「正面に礼!審判に礼!お互いに礼!」

相手選手への礼を終えると、ロベルトはゆっくりと構える。
表情が少し引き締まった。
ロベルトの初戦の相手、浅沼は青帯ではあるが、体格は太郎と同じくらいで、恐らくは軽量級に属する選手だろう。
背丈の大きいロベルトを緊張の面持ちで見上げる。

初めから重量級選手とぶつかった太郎は、ロベルトのことが羨ましく思えたが、今さらそんなことを考えてもしょうがなかった。

「構えてえ、始めい!」

主審の開始合図と同時に、ロベルトは相手に向かい、強烈な右の突きを放つ。
ロベルトの拳は、浅沼のみぞおちにめり込んだ。
うっという微かなうめき声と共に、浅沼は膝をついた。
すると、四隅の副審が一斉に笛を吹き、右手に持っていた赤旗を真横につき出した。
浅沼は、ゆっくりと立ち上がり、最初の中央線に戻る。

「赤、1,2,3,4,5!中段突き、技あり!」

主審は、それぞれの副審を指さしながら、番号を数え、最後に自身を指し、ロベルトの技ありを宣告した。

「おお、ロべの野郎、いきなり技ありを取りやがった」

「技ありとは、一本の手前……確か、2秒以下のダメージの」

「そうだ。このまま本戦が終われば、技ありの優勢勝ち。もう一度技ありを取れば、合わせ一本勝ちで試合終了だ」

相馬は興奮気味に説明する。

太郎は、練習でロベルトの突きをミットで受けているが、飛ばされないように踏ん張るのが精いっぱいだった。
やはりロベルトのパワーはかなりのものらしい。

試合が再開されると、ロベルトは気合十分の突きの連打を浴びせる。
浅沼はたまらず左手を挙げ、屈みこんでしまった。
すると、また副審たちは笛を吹いた。

「赤、1、2、3、4、5!中段つき、技あり!合わせ一本!」

会場内は湧き上がった。
開始1分も経たないうちに、ロベルトは初戦で一本勝ちを収めた。

ロベルトは、満面の笑みで檀上から下りてきた。
両方の拳を小刻みに上下させている。
おそらくは、感情を爆発させたいのだろうが、先ほど主審から注意を受けている手前、行動をわきまえているのだろう。

「ロべっ!てめー、デビュー戦で一本勝ちとは、ちっと出来過ぎじゃねーか?」

そう言って、嬉しそうにロベルトの肩を叩く相馬。

「オス、ソウマセンパイ、タロー、ボク、ヤッタヨ!」

「ロベルト、おめでとう!」

自分のことのように喜んでいる自分がいる一方、どこか悔しさや焦りの感情も芽生えている。
そんな複雑な感情を抱える太郎。

「やるじゃない、ロベルト君!」

「凄ーい!ロベルトさん!」

美雪やあずさからも祝福の言葉を受けるロベルト。
太郎の中では、段々と負の感情が支配し始めていた。

「正直・・・うらやましい。ううう」

その後もロベルトは、2回戦、3回戦、4回戦とも強力な突きと蹴りで勝ち進み、決勝まで駒を進めた。

決勝の相手は、1回戦で太郎を下した総本山の高畑だった。
やはり高畑も実力者であったようだ。

「ロベルト、俺のカタキを取ってくれよ!」

ロベルトに拳を握りしめる太郎。

「ロべ!あんな中途半端な坊主野郎は、とっとと蹴散らしてこいや!」

乗りに乗っているロベルトに、もはや何の心配もしていない相馬。

「オス、ガンバルヨ!」

『これより、決勝戦を行います!ゼッケン1番高畑選手!ゼッケン22番ロベルト選手!』

ついに、決勝戦が始まる。

「よっしゃあ、行って来い!」

相馬は、ロベルトの肩を思い切り叩いた。

試合が始まると、高畑は、気合いと同時に強烈な下段蹴りをロベルトにめり込ませる。
しかし、ロベルトは気にする様子もなく、重い突きを高畑の胸に叩き込む。

高畑もすぐに反撃にでるが、ロベルトは胸の同じ場所に2発3発と突きを叩き込む。

「ふっ……」

相馬は、高畑の息が途切れたのを聞き逃さなかった。

「ロベっ!突きが効いてんぞ!チャンスだ、突け、もっと、ヘイ、モア!!」

相馬の言葉をどこまで理解したかわからないが、ロベルトはその後も執拗に同じ場所を打ち続ける。

「ロベルト!後、1分だっ!ワンミニッツ!」

太郎の応援にも熱が入る。
心情的には複雑である。
同じ稽古をし、汗を流した。
そのロベルトがもはや優勝目前なのだから。
だが、今は、とにかく、全力で応援するのだ。

『ドーン!』

試合の終了太鼓が鳴らされた。
技ありや一本がなかったため、勝敗の判定となる。

「判定をお願いします・・・・・・判定っ!」

『ピッ!』

一斉に赤旗が挙げられた。

「赤、1、2、3、4、5、赤!」

会場から歓声が上がった。
ロベルトの優勢勝ち。
そして、優勝が決まった。

ロベルトは、白帯にして、空手入門一ヶ月にして、初心者大会を制してしまった。

凄い。
たった一ヶ月の稽古で、優勝してしまうなんて。
それに比べて、自分はなんだ。
一回戦で敗退し、そして、同期のロベルトの優勝を素直に喜べないでいる。
卑屈で嫌な奴だ、俺は。
太郎は、自己嫌悪に陥る。

「次は水河さんが優勝する番ですね」

小鳥のさえずりのような声にはっと我に返る太郎。

「応援してますから、頑張ってくださいね」

あずさの笑顔に自己嫌悪も吹き飛んでしまった。
頑張るぞ。やってやる。

そんな板橋道場の面々に、準優勝の高畑を先頭に総本山の一団が近づいてきた。

「押忍。ロベルト選手。おめでとうございます。でも次は負けませんよ」

そう言って、高畑とロベルトは握手を交わす。

そんな高畑の肩に、パンチを入れる相馬。
初めて会ったのに。
やはり相馬は恐ろしい。

「おい、惜しかったな。おめー丸坊主じゃねーから、総本山の内弟子ではないみたいだな」

「お、押忍。自分は、総本山の一般道場生です」

「まあ、また俺らとぶつかっても俺らが勝つぜ。総本山に帰って、山岸の糞ハゲに言っとけや」

「お、押忍。山岸先輩に伝えます」

高畑らが去った後、太郎は相馬に訪ねた。

「押忍。ヤマギシさんとは、どなたですか?」

「あ?総本山の内弟子だよ。俺も総本山で修業していた時期があってな」

「え!相馬先輩は、総本山にいらっしゃったんですか?」

「まあな。でもって、山岸ってのは、俺の同期の野郎だ。何かと俺様をライバル視してきやがる、気持ちの悪いハゲ野郎だ」

「お、押忍。そうでしたか」

相変わらず、口が悪いなあ、思う太郎だった。

 

【初心者大会結果】

 


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