第12話  全日本のエース

 

勝手もわからない会場内を彷徨う太郎。
しかし、一箇所にじっとしてられない。
胃が脈打つ。
低く、荒い呼吸をしながら、階段を上り、いつしか会場中を一望できる二階観客席に腰を下ろした。
深いため息をつく。

「ああ、この後、試合なんだなあ。空手の試合。あんな目立つ試合場の上で、大勢の人に見られながら。あずさ先輩に見られながら。ああ、カッコ悪いところ見せたくないなあ。せめて一回くらいは勝ちたいなあ」

などど、とめどなく独り言をつぶやく太郎。
と、気づけば太郎の数席横に、黒のTシャツを着た男が座っていた。
分厚い胸板。
たくましい肩。
大きな身体。
間違いなく空手の選手だろう。
顔はいまどきで、さわやかな感じ。
年は太郎と同じくらいに見える。

その男は、会場内を見渡していたが、一瞬太郎と目が合い、そしてまた目線を会場に戻した。

明らかに強そうなこの男に、太郎は情けない気持ちになってきた。
自分は身体は細いし、白帯だし、試合前の緊張で吐き気をもよおしている。
太郎はますますテンションが下がってきた。

しばらくすると、この男の周りに人だかりができ始めてきた。
声を掛ける者もいる。

「押忍。志賀先輩、今日は見学ですか?」

「おお、志賀選手だ」

「志賀選手だ、本物だよ」

「すげー、かっこいい」

どうやら、この男は”志賀”というらしい。
空手界の有名人なのだろうか。

「志賀選手、今年も全日本優勝できそうですか?」

「押忍……去年は運が良かっただけですよ」

「このまま二年後の世界大会も優勝しちゃってくださいよ」

「ははは、頑張ります」

太郎は、身体に電流が走った。
それは、悔しさやらコンプレックスやらが複合的に混ざったもののようだった。
太郎は、動揺した。
突如現れた全日本チャンピオンに。
この男が、日本一の男。
志賀。

「あっ、いたいた。水河さん、もうすぐ開会式が始まりますよー」

「はっ!」

あずさが太郎を呼びに来たようだ。

「はうう、あずさ先輩。すいません。すぐに行きます」

と、あずさは、人ごみの中の志賀に視線を移した。

「あれ、志賀君。志賀くーん」

あずさは、志賀に手を振った。
太郎に、胃が溶けそうな感覚が襲い掛かってきた。
先ほどの複合的電流にジェラシーが混じった。

「ああ、あずささん。こんにちは」

志賀は、ゆっくりと立ち上がり、あずさに近づいてきた。
大きい。
180cm近くありそうだ。

「今日は、どうしたの?」

「うちの横浜道場の新人が参加してるんだ。僕の教え子。応援に来たんだ」

「へえ、横浜から来たんだあ。お疲れ様」

あずさは、太郎に顔を向け、すっと手のひらを出した。

「こちらの方は、板橋道場の水河太郎さん。今日試合に出るんだ」

あずさの紹介を受け、太郎は急いで立ち上がった。

「初めまして、水河さん。志賀といいます」

志賀は太郎に、手を差し出した。

「押忍っ」

太郎はロボットのようにぎこちなく握手した。
そして驚いた。
なんて厚くて硬い手なんだろうか。
そして、この太い腕。
半端ではない。
素人でも分かる。
とてつもなく強い男だと。

「じゃあ、志賀君。開会式が始まっちゃうので、行くね」

「ああ」

あずさと太郎は、観客席を後にした。

太郎の頭には、もやもやとした暗い雲のようなものがまとわりついているようだった。
知りたい。
あの男と、あずさとの関係を。
でも、知りたくない。
もやもやしていた。
そんな太郎をよそに、あずさが口を開いた。

「さっきの志賀君はね、22歳で私たちと同じ年なんだよ。横浜道場の志賀創二君。去年の全日本大会、初出場で優勝しちゃったんだ。凄いよね」

「しょ、しょうなんですね」

太郎は目眩がしてきた。
全日本初出場で優勝。
格差。
とんでもない格差。

「太郎さんも、全日本で活躍できるように頑張って下さいね」

その言葉に、何気ないあずさの言葉で、太郎のもやもやは吹き飛んだ。
太郎は階段の前で立ち止った。
不思議そうに太郎に振り返るあずさを見つめて言い放った。

「あずさ先輩、僕は志賀さんを倒します。見てて下さい!」

「え?」

太郎は言って直ぐに後悔の念が湧き上がってきた。
倒す?
まだ初心者大会に出場するようなレベルの自分が。
なぜ?
思い切りあずさを意識した発言。
訂正をしなければ。
すると、太郎の訂正よりも先に、あずさが口を開いた。

「……うん、わかった。私は水河さんを応援するよ。絶対勝てるよ。頑張ってね」

太郎は、あずさからの言葉で、いままで立ち込めていた汚れた感情がすべて洗い流されたようだった。
自分を応援してくれる。
以前からの知り合いの志賀よりも、自分を。
たまらなく嬉しかった。

「あ、ありがとうございます!が、頑張ります!!」

太郎の迫力に、あずさは笑い出してしまった。

「ははは、でも、凄いですね、全日本王者を倒すなんで。そんなこと言っちゃう人、お兄ちゃんくらいかと思ってた」

あずさは、右手の細い人差し指をほほにあてた。

「そっか、似たもの同士と感じたから、お兄ちゃんは水河さんを弟子にしたんですね。きっとそうだ」

あずさは太郎に微笑みかける。
美しい。
かわいい。
最高だ。

と、そんな幸せな空間に、怒号が飛びこんできた。

「くおらあー、糞太郎!てめーは出場選手だろうがー!!どこほっつき歩いてやがんだあ!てめーごときが手間掛けさすんじゃねーぞ!」

相馬だった。閻魔のような顔をして階段を昇ってくる。

「ひー!す、すいませーん、すぐに行きますー」

階段の下には、ロベルトが立っていた。

「糞太郎、ロベルトと一緒に、試合場に行って来い。失格になっちまうぞ」

「押ー忍!」

太郎は、ロベルトを連れて試合場に急いだ。

 


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