第10話  二人の弟子

 

太郎が道場に入門して二週間が経った。
だいぶ相馬や道場生にも慣れてきたようだった。

午前中の稽古を終え、太郎とロベルトは二階へ向かう。
シャワーを浴びる為だ。

明るい内にめいっぱい汗をかき、シャワーを浴びるのは何とも気持ちのいいものだ。
ちなみにこのシャワーは相馬の自慢の一品で、水勢は尋常ではなかった。
リフォーム会社で実際に現場作業をしている若手道場生に半ば強制的に改造させたものらしい。

太郎は、未だ激流を楽しむロベルトを置いて、シャワー室から出て、半袖、短パンに着替える。

板橋道場の二階にはシャワールームの他に、大型のウェイトトレーニングの設備が揃っていた。
現役時代は『重戦車』などと謳われた相馬の父、源五郎師範が好んで使っていたもののようで、中には古い型のものもある。
一方、息子の清彦自身はウェイトトレーニングをあまり好きでないようだった。

現段階での相馬の指示はとにかくスタミナ強化の稽古なので、この器具達に触れたことはない。
太郎自身は今まで身体を鍛えようなどと考えたこともなかった。
が、格闘技をかじり始めると、筋肉強化への欲が出てくるようで、ウェイトトレーニングに興味を示し始めていた。

太郎は、ベンチプレス台に目を止めた。

「これが、噂のベンチプレスってやつかあ」

ベンチプレスは、膝くらいの高さのある台に仰向けになり、両端におもりのついたバーを胸の上で上下させる器具である。
一般的にウェイトトレーニング愛好家からは人気の器具で、主に大胸筋が鍛えられる。

太郎は、しばらくベンチプレスの台の周りをうろうろし、台に横たわった。

「おもりが付いてないから持ち上がるかな」

太郎はバーを握り締め、力を入れた。

「あっ、持ち上がった」

そしてそのまま、バーを元に戻した。
がしゃんと鳴った。

「思ったより大きな音が出るなあ」

バーの音と同時に、シャワー室が開き、ロベルトが出て来た。
上半身は裸、下半身にはタオルを巻きつけている。

「オー、タロウ、ベンチプレス?」

「あ、ああ」

「レッスン」

「え?知ってるの?」

ロベルトは台に近づくと、まずバーの高さを調節し始めた。
そして、近くにあった『10kg』と書かれた車輪型をしている大型のおもりを両端に取り付けた。

「40kg」

バーを指差してロベルトが言う。

「え?ああ、バーの重さは20kgなんだな。両端のおもりと合わせて、40kgってわけね」

ロベルトは、バーを軽く支えながら、太郎にバーを持ちあげさせた。
そして、胸の上に下ろす。

「オーケイ、レッツトライ!」

「よし!」

太郎は歯を強く噛みしめ、バーベルを持ち上げ、元の位置に戻した。

「はあ、はあ、40kgは持ち上がるようだ」

「グッド!ネクスト」

そう言うと、ロベルトは『5kg』と書かれた先ほどよりも一回り小さいおもりを両端に付けた。

「これで、50kgか!よし」

太郎はロベルトに支えられたバーベルを持ち上げ、胸の位置に下ろす。
しかし、今度は全く動かない。

「うううう……駄目だ!まだ50kgは無理か」

ロベルトがバーを持ち上げようとした時、一階の玄関のドアが開いた音が聞こえた。
誰かが道場に入ってきたようだ。

「オー、ヴィジッター」

その音に反応したロベルトは、支えていたバーベルを離し、一階へ降りて行ってしまった。
バーベルは太郎の胸にのしかかったままだ。

「へ?うそでしょ!ヘイ、ロベルト!ヘルプミー!」

太郎の叫び声を聞き、三階から相馬が降りて来た。
グレーのスウェットズボンに両手を突っ込んでいる。
寝起きのようで、機嫌が悪そうだ。

「なにやってんだ、てめーは?」

「そ、相馬先輩、助けて下さい」

「ったく、勝手にウェイトなぞやりやがって」

ロベルトが階下に降りると、玄関には女性が立っていた。
スレンダーで、身長は165cm近くありそうだ。
黒い長髪で切れ長な目。
白と黒のストライプのロングスカートが揺れている。
大きな荷物が、足元にいくつか置いてある。

突然タオル一丁で目の前に立ちふさがる外国人にも戸惑う様子もない。
ロベルトは両手を頬にあてた。

「オー、ビューティフル」

と、ロベルトの腰に巻きつけられていたタオルがはがれおちた。
刹那、その女性の右足がロベルトの頭上に舞い上がり、そのまま顔面に炸裂した。

「ノー!」

 

「今度はなんだあ?」

「ロベルトの声ですね」

ロベルトの叫び声に、二階から相馬と太郎が降りて来た。
そこには素っ裸で玄関に倒れるロベルトと半身を着る女性。

「み、美雪?」

「キヨ、ただいま」

どうやら相馬とその女性は知り合いのようだ。

「そ、相馬先輩。この方は?」

太郎は、恐る恐る相馬に問いかけた。

「道場生の栗原美雪だよ。どこ行ってたんだっけ?」

「大学院の新人研修旅行だよ。もう忘れたの?」

「てめーの行動をいちいち把握してられるか」

「ふん。心配だったくせに」

栗原美雪。
暴君相馬にこれだけの態度が出来るこの女性は何者だろうか。
太郎は二人の顔を交互に見比べる。

「ところでさあ、この変態は誰?つい踵を落しちゃったんだけど」

「か、踵?」

どうやらロベルトはこの女性の踵落としを喰らったらしい。
全裸うつ伏せのまま、ピクリとも動かない。

「ちっ、いつまでもきたねえもん晒してんじゃねー」

道場の端まで蹴り飛ばされるロベルト。

「あいつは、アメリカから俺を慕って来たロベルトってんだ。そんでもって、このもやしみてーな奴は、太郎。総本山の裏山を徘徊してたのを捕まえたんだ。二人とも俺様の弟子って訳だ」

「こ、こんにちは、み、水河太郎です」

「アホ!道場内の挨拶は『押忍』だろうが!」

「は、お、押忍。そうでした」

美雪は長い黒髪を軽くかき分ける。

「よろしくね、太郎君」

「は、はひ」

美雪の美しい黒い瞳から視線を外してしまう。

太郎は思い出した。
以前、岩村が言っていた、相馬の恋人の名前。
確か栗原だった。
当然、相馬に聞けるわけもないが。
相馬と付き合う女性って、一体どんな人なのだろうかと、思っていたが。
なるほど、納得がいった太郎だった。

 


NEXT → 第11話 初心者大会開催 へ


BACK ← 第9話 とにかく動け へ


 

サブコンテンツ

このページの先頭へ