第6話  ロベルトは経験者?

 

陽が傾きかけた頃に、部屋の中はようやく片付いてきた。
近所の大型スーパーで購入した敷き布団を二枚敷くことの出来るスペースが空いた。
しかしベッドの他に布団二枚、それにソファーが置いてあってもまだ余裕があるなんて、相馬は何て大きな部屋に住んでいたのだろうか。

ロベルトと今日の成果を眺めていると、部屋のドアが乱暴に開いた。
相馬だった。
上下白のジャージ姿で、紙袋を抱えている。
何か大きな物が入っているらしく、それを玄関に放り投げた。

「おー、キレイになってんじゃん! さすが我が弟子! ワハハハハ」

太郎はドアの方を向いてお辞儀をした。

「相馬さん、お帰りなさい」

「てめーは俺の嫁か!」

と、瞬時に一喝された。
丁寧な言葉を選んだつもりだったが。
太郎は面喰らった。

「てめーら! 空手家の挨拶はな”押忍”だ。とにかく押忍。これだけ覚えとけばいいぜ」

「……押忍」 

そう言えば道場生達がみんな口を揃えて言っていた。
空手家共通の挨拶だったのだ。

「両手を拳にして腰の前に据える。脇はなるべく締める。これが”自然体”って立ち方だ。押忍と言う時は、両腕を顔の前でこう交差させる。そしてそこから拳で十字を切るように元の位置に戻し自然体に戻す。挨拶の基本だ。とりあえず、これだけ覚えるんだ」

相馬は挨拶の動作をやってみせた。
その動きだけでも動きにメリハリが付いており、なんだかカッコ良く見えた。

「な、なるほど」

「おらっ!ロベルト、お前もやらんかい! 押忍!」

「オス」

そう言うと、ロベルトは挨拶のしぐさをした。
なんとなくぎこちなかった。

「まあ、そんな感じだな! それとな、先に道場に入門している者に対しては『さん』じゃなくて、『先輩』ってつけるんだ。それだけ覚えとけ」

先ほどからそれだけ、これだけといいながら覚えることは結構ありそうだ。

「だから俺様のことは、『相馬先輩』って呼べ」

「あ、は、はいっ!」

「てめー! さっそく違うじゃねーか! 押忍だよ、押忍!」

「お、押忍!」

太郎は両腕で十字を切ってみた。
なんだか恥ずかしかった。

「あ」

そう言うと相馬は、足元に転がった紙袋を拾い上げた。

「ほれ、お前らにプレゼントだ」

太郎とロベルトは紙袋を受け取った。
何やらずっしりと重い。
開けて見ると、中から分厚い布地が見える。

「Karate wear !」

「空手着だ」

それは純白の空手着だった。
上下と白い帯が入っていた。

「ちょっと着てみろや」

「え? ここで?」

「馬鹿! 女子か、お前は! とっとと着替えんかい!」

「ひー! お、押忍!」

広げて見ると思ったより大きく、ガチガチに固い。
こんなものが着れるものだろうか。
太郎は着ていたワイシャツと肌着を脱いだ。

「何だ、お前のその情けない身体は?」

相馬が呆れるのも無理はない。
腕も足も凹凸のないもやしのような形。
油の多いラーメン好きだからだろうか、腹は少し出ていてまるで幼児のような体型なのだ。
身長は164cm、体重は53kg。
お世辞にも逞しいとは言えない。
顔を赤らめながら、横を向くとびっくりした。

「な、ななな!」

「おー!」

ロベルトの身体だ。
分厚い筋肉に包まれたガッシリとした身体。
外国人は皆、筋肉質なのだろうか。
とても素人とは思えない。
加えて180cmはあるであろう巨体。
こんな男と同期とは。

さらにロベルトは、道着にテキバキと着替えていく。
この男は空手経験者なのだろうか。
さきほどの挨拶の仕方を見た限りだと、そんな風には見えなかったが。
ロベルトは帯をキュット締め、嬉しそうに笑って見せた。

「おら、太郎も着れや!」

相馬は、そんなロベルトのこ慣れた動きなどは気にもしていないようだ。
空手着を着ることなど誰にでも出来ると思っているのだろうか。

「ボケ! 結び目は前だ! 左右の長さが違う! 糞が!」

太郎は相馬に叱られながら何とか空手着に着替えることが出来た。
ゴワゴワでガチガチだ。
これじゃあまともに動けない。

「空手着ってのは、初めは固いが、汗を吸い、洗濯を繰り返して段々と身体にフィットしていくんだ。気にすんな」

「なるほどー」

そう言うと、相馬は部屋に上がらぬまま、ドアを開け、外に出ようとする。

「あれ、相馬先輩。この後、稽古があるのでは?」

毎日、午後七時から夜の稽古がある。

「ああ。お前らは初の稽古だな。頑張れよ」

「え? 先輩は出ないんですか?」

「出ねーよ」

「ええ! 僕達初めてなんですよー! 相馬先輩がいないんじゃ、どうすれば」

「うるせー! 俺様は用事があるんだよー! それに、稽古が終わった後、しごいてやるから」

「えええ! 稽古が終わった後?」

「そうだよ。お前らは、相馬道場の内弟子だからな。四六時中空手三昧だよ」

太郎は茫然とした。
“内弟子”とは。
普通の道場生と違うのか。
四六時中。
何かが、何かがおかしい。
そもそも相馬道場ってことは、この人が道場主なのか。
一つずつ解決していかなければならない。

「押忍。相馬先輩。相馬道場とありますが、相馬先輩がボスなんですか?」

「ボス? 馬鹿! 空手道場の主のことは、”師範”というんだ。相馬道場の師範は、俺の親父だよ。相馬源五郎ってんだ。この後の稽古は親父から教わることになる」

なるほど、相馬道場とは相馬の父の道場らしい。
その息子と娘が相馬清彦と相馬あずさのようだ。

「俺は出かけるからよ。今日は、岩村さんっていう仏様のような人にお前らの面倒見てもらうようにお願いしといたから。道場のこといろいろ聞いとけよ」

「い、岩村さん」

「岩村先輩って呼べ!」

「お、押忍」

「じゃあな」

相馬は出て行ってしまった。

「行ってしまった。岩村先輩か。仏様のような……」

太郎は嫌な予感がした。

「相馬先輩がわざわざ仏様なんて言うってことは……逆だ! きっと閻魔のような恐ろしい男に違いない! 絶対そうだ!」

太郎は勝手な妄想を広げ、ぶつぶつと独り言を言っている。
ロベルトは、そんな太郎を見ながらニコニコして立っていた。

太郎とロベルトは道着姿で一階の道場へ降りて行った。
稽古時間まで後一時間ほどあるので、まだ誰も来ていなかった。

「なんか、空手着を着て道場に入ると、強くなった気がするぜ! なっ、ロベルト!」

「オス!」

なんとなくロベルトとコミュニケーションがとれるようになってきた太郎。

「とりあえず、どうしよう。岩村さんが現れるまで準備運動でもしてようかな」

太郎は屈伸や前後屈のジェスチャーをする。
ロベルトは理解したらしく、二人で適当に準備運動をする。
太郎にとっては準備体操すら高校生以来やっていないので、数種類の運動をしただけで息が切れる。
最悪だ。
運動不足にもほどがある。

太郎とロベルトが準備運動をしていると、入口の扉が空き、30歳代くらいの男性が入ってきた。

「押忍! 押忍!」

と、二度挨拶をすると、一直線に太郎らのところへやってきた。
太郎は直立不動になってしまった。
その男性は腕を十字に切り、「押忍」と挨拶をした。
太郎は、相馬から教わった自然体の立ち方になり、十字を切って挨拶をする。
ロベルトも習って同じ動作をする。

「こんばんわ。私は岩村と言います」

「あ! 岩村さ、先輩」

相馬の言っていた岩村とはこの男性のことのようだ。
身長は、170cmに届かないくらいで、太郎よりも少し高い。
年齢は30くらいだろうか。
しかし、ウェーブのかかった黒髪が若々しく、優しい感じが全身からあふれ出ている。
それでいて空手で鍛えたからであろうか、青いワイシャツは盛り上がり分厚い筋肉が分かる。

「相馬先輩から君達のこと頼まれているんだ。よろしくね」

「あ、お、押忍。はじめまして。私は、水河太郎と申します。よろしくお願いいたします。隣の彼は、ロベルト・リベイロ君です」

「オス」

「ふふ。知ってるよ。昨日、二人で道場になだれ込んで来たもんね」

「あ」

岩村は昨日道場にいたらしい。

「日本一になるんだよね。あんな自己紹介は初めて見たなあ」

「あ、う、お、押忍」

「じゃあ、ちょっと着替えてくるから」

そう言うと、岩村は男子更衣室に入って行った。

「ふあー、あの人が岩村先輩か。確かに仏様みたいな人だなー」

「That person’s character is good」

親指をくいっと上げる。
ロベルトも岩村には好印象なようだ。

「む! だが相馬先輩がわざわざ俺らの指導をお願いした人だ。油断出来ん!」

太郎は心を開かないように自分に言い聞かせた。

 


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