第178話  運命の日

 

太郎はゆっくりと目を覚ました。

「ここは……どこだ?」

目の前は真っ暗で何も見えない。
だが布団の中のようだ。

枕元を手探りし携帯電話を見つける。

「ん……4時?」

 

太郎はベッドから出る。
携帯の明りを頼りにドアを探す。

どうやら森は隣のベッドで寝ているらしい。
隣の部屋からは、隠岐のいびきも聞こえる。

 

太郎はそっと部屋を出て階段を降り、出口に向かう。

管理室の明りがついている。
窓口の向こうには内弟子が椅子に座りながら眠っている。

「何年か前は、松崎君がああやって寝てたな。内弟子も大変だな」

太郎はそっと宿泊施設を抜け出した。

 

 

11月の寒空の下。
月も明るさを失っている時間。

太郎はもう少し厚着をしてくれば良かったと少し後悔しながら武道場に向かう。
陽が昇れば、今日ここは世界で最も熱い場所となる。

太郎は昨日の試合を思い出していた。

「アルベルト選手を倒したところは覚えている。森との稽古の成果がバッチリ出た試合だったな。相手が大技に移るモーションで飛び膝蹴りを発動させる。まあ、本戦終了間際でアルベルト選手の後ろ回しのキレが鈍ったからこそうまくいったようなものだったな。それにしても強敵だった」

太郎は武道場の横に広がる駐車場の方へ歩く。

自動販売機で熱いお茶を買う。

「えーっと、どこだったかなあ?」

太郎は、駐車場の端の方をうろうろ。

「あ、あった。ここだ」

太郎は、少しくぼんだ茂みを見つけた。

「おりゃ!」

太郎は茂みに足を入れると、そのまま滑り落ちた。

目を開けると、そこには懐かしい景色が。

六年前、初めて総本山に来た時、百瀬から教えてもらった場所だ。
駐車場の中心部にあるそのベンチからは、千葉の山々が一望できる。

11月は秋の紅葉真っ盛り。

なだらかな山の頂上にある総本山から眺める房総半島内陸部の山々は、なんとも言いようのない美しさだった。
まるで柔らかいクッションのように見えるその木々に飛び込んでみたいと思った。

「初めてこの光景を見た時、選手としてここに来たら、のん気にきれいだなあなんて考えられないと思っていたが、あの時と同じだ。美しい光景だな」

太郎は、ふうっと大きく息を吐きだした。

第10回世界大会最終日。
初めてここから眺めた時と同じだった。
山頂から望む景色はやはり荘厳だった。

「ついに来たな。世界大会の最終日……ベスト32か。夢みたいだな」

太郎はゆっくりと自分の空手人生を振り返り始めた。

 

入門し、始めて出場した大会は初心者大会だった。
会場で出会ったのは、全日本王者の志賀だった。

「身体もでかい。それに落ち着いた態度。当時の俺とは間逆な存在だったな。あれ以来、俺の中で無視出来ない存在になっていったな」

その初心者大会。
試合のデビューは黒星発進だった。

「あの時戦った総本山の高畑選手。凄い強さで、初心者でこんなに強い奴がいるのかって驚いたな」

お茶を少しずつすする。

「始めて見学した体重別全日本。津川選手。百瀬選手。宮路選手。軽量級王者の辻選手。雲の上の存在だったよな。ああ、あの会場ではマルチェロとヴィンセント選手にも会ってたな」

ベンチにのけぞって身体をのばす。

「東京都大会では、中条さんに負けたんだったよな。当時は何て嫌味な奴だって思ってたけどな。俺の将来に影響を与える人物になろうとは」

太郎はプッと噴き出した。
思い出し笑いだ。

「全日本前の飲み会で、あずさ先輩が俺とチューしたことばらしたんだよな。山岸さんの怒り狂った顔は今でも覚えてるな」

ベンチに座っている自分。
ある夜を思い出した。

「辻選手に負けて、世界大会への出場が断たれた日。俺は今みたいにベンチに座って……葉月さんと出会ったんだったな」

太郎は大きくうなづいた。
過ちは犯していない。

「道場を去った後、同棲してたんだよなあ。本当かよ。信じられないな」

ベンチに寝転がった。

「大学の留年が決まって親に勘当されて、海を見に湘南に行った時にマスターに会ったんだよな。葉月さんと別れた後、お世話になったな。郁美ちゃんも元気かなあ」

段々と空が明るんできた。

「いつかの体重別全日本の会場で隠岐師範に会ったな。確かトイレで」

早朝の空気は透き通っていて、身体が癒されていく気がする。

「森には……森には結構前から会ってるんだよな。……あっ、あずさ先輩がカミングアウトした飲み会にいたんだ。なんか暗い暗いって相馬先輩に馬鹿にされてたよな、会う度に。そんな森が今や、俺を慕って付いてきてくれてるとは」

太郎は手をポンと叩いた。

「忘れてた。正宗。あいつは……4年前の世界大会後に、道場にテレビの仕事をしに来たんだよな。そんなあいつが、4年後の今回の世界大会のアナウンスをしてるとはなあ。あいつも始めは……だったが、いろいろ助けてもらったよな。……うん、人間の関係って始めが悪いと段々良くなっていくんだよ。誰だよ、第一印象が大事って言ってる奴は」

太郎はベンチから飛び降りた。
太郎は目をつむり、軽く飛び跳ねて見た。

「ない……不安は全くない。万全だ」

太郎はの身体が武者震いを起こしている。

「何年もの間、友人としてライバルとして、汗を流して来たロベルトは、今や世界最強の空手家の一人になった!」

太郎の頬に涙が伝う。

「あの日、俺を、俺の、情けなくて、空しい人生を一変させてくれた相馬先輩!」

太郎は水色に色づいた空を仰ぐ。

「あずさ先輩!  待ってて下さい!  俺は……俺は世界一になってみせます!」

太郎は咆哮した。

青春の集大成。

運命の日がやってきた。

 

空は微かに明るくなり始める。
まるで魔法にかけられたように。

 

第10回世界大会途中経過

 


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