第175話  動かぬ身体

 

「しかし、世界大会は相手選手の名前が分かってもどんな奴か検討がつかないなあ」

太郎はトーナメント表を見ながら愚痴をこぼす。

「太郎先輩は、もうすぐですね。フランスのジャン・グレフ選手ですか」

「そろそろ、アップするか」

サブアリーナの端に陣取った太郎は、空手着に着替え、準備運動を始めた。しかし、すぐに動きが止まった。

「ど、どうしたんですか、太郎先輩?」

「う、動かん」

「へ?」

「準備運動すらまともに出来ない」

「ええー!  これから本番ですよ」

「隠岐師範の言葉を信じてやってきたが……駄目かもしれん」

「やっぱりやり過ぎたんでしょうか?」

「でも今さら言っても始まらねーぜ」

しばらくするとサブアリーナに案内が流れた。

太郎の呼び出しだ。

「つ、ついにきたー!」

「太郎先輩!  行きましょう!」

太郎は不安いっぱいで会場入りする。

結局一回戦の相手の顔を確認する余裕も無かった。

 

『ゼッケン55番、ジャン・グレフ選手、フランス!  ゼッケン56番、水河太郎せんぱ……選手!  日本!  Number 55 Jean Gurefu in  France! Number 56 Taro Mizukawa in Japan!』

 

選手紹介の正宗が太郎選手というところを先輩と言ってしまったらしい。
このミスで太郎の緊張は少し和らいだ。

「ふふ、正宗。よし!  森、行ってくるわ!」

「押ー忍、太郎先輩!  頑張って下さい!」

 

太郎の世界大会の初戦が始まる。

相手選手のジャン・グレフは体格は相馬と同じくらいで、おそらく中量級の選手だろう。
いきなり重量級とぶつかることは避けられたらしい。

オールバックの金髪に青い瞳。
世界大会という実感が湧いてくる。

 

『構えてー、始めい! 』

 

ついに試合が始まった。

太郎は突きの連打から入ろうとしたが、連打どころか突きが出ない。
拳を握った腕が前に出ただけだ。

そこにジャンの強烈な前蹴りが太郎のみぞおちに炸裂する。
衝撃は大きかった。

「(うわっ、俺の身体はどうなってんだ?)」

態勢がよろめき、その後もジャンの突きの連打をまともにうける。
戦いながら、太郎は思う。

「(調子が良ければ、負けるような相手じゃあない。しかし、この状況はやばいぜ)」

会場からも大歓声が上がる。

ここは世界大会なのだ。
日本選手はどちらかというとアウェイといった感じだった。

 

受けもままならない。
攻撃は出ない。
もはや絶体絶命だ。

「(やばい、やばいい)」

ふと、初めて出場した体重別全日本大会の山城戦が脳裏によぎった。
あの時も、こんな風に動けずに、相手の攻撃を受け続けていた。

まあ、あの時は緊張で動けなかったのだが。
今は、あの時のように、動けぬ身体を解放してくれる。

あの声は無い。

しかし、強烈な突きを受け続けることで少しづつではあるが、身体がほぐれていく気がしてきた。
太郎は突きを出してみた。
先ほどよりは勢いのある突きが出た。

「(打てた! )」

だがジャンの攻撃は止まない。
このまま行けば判定で負けるのは確実だ。
しかし一本や技ありを取れるような攻撃が出来るとは思えない。
蹴りは全く出なそうだ。

「(駄目だ、こうなったらガムシャラに行くしかない。格好なんて関係ないぞ。突いて突きまくってやる)」

太郎はやっと鎖が外れ始めて突きを打つ。
相手に当たる度に身体がきしむようだ。

連打が出来ないので、伸びのある大きなスイングの突きをひたすらに打つ。
そして本戦が終わった。

 

『判定をお願いします……判定! 』

 

副審の一人がジャンに旗を上げた。
そして主審もジャンを支持。

2-0でギリギリ延長戦に突入となった。
太郎は首の皮一枚で命拾いした。

「(あぶねええ!  俺のこれまでの凄まじい努力がすべて水の泡になるところだった! )」

延長戦は本戦よりも突きが出る。

それでもぎこちないが、そもそもの実力差があったようだ。
ジャンは太郎の突きに後退し始め、延長戦は5-0で判定勝ちを収めた。

しかし薄氷を踏む勝利だったことには変わりない。

 

壇上から降りた太郎に森が心配そうに近づく。

「太郎先輩!  大丈夫ですか?」

「ああ、何とかね。それにしてもやばかったなあ」

太郎は会場の端のベンチに腰を下ろす。

「相手選手はかなりのハードパンチャーでしたね」

「あ、ああ。そうかな。何か緊張であんまわかんなかったな」

「え? あの連打で動きが取れなかったんじゃ?」

「いや、逆なんだよ。あの連打を喰らったお陰で、なんとなく身体が動くようになったんだ」

「そ、そうですか。太郎先輩、ダメージは?」

「うーん、あんまわかんないなあ。だって、ここんとこずっと身体のどっかが痛かったからなあ」

 

そんなやりとりをしているところに似合わないスーツ姿の隠岐が現れた。

「よう!  随分と殴られたな」

「お、押忍、隠岐師範!」

太郎と森は腰を上げた。

「まだ、エンジンが掛からないかよ?」

「いや、それどころか、ガス欠みないな状態でしたよ」

「ふふ。まあ、初日はこれで終わりだ。森の試合が終わったら早々に宿舎に戻ってマッサージでもしてもらうんだな」

「押忍!」

 

森は順当に一回戦を勝ち抜いた。

二人は隠岐の言う通り、道場裏の宿舎に帰って行った。
ベッドに横になる太郎。

「ふああ、疲れた」

「お疲れ様でした」

「森い、お前も戦っただろうが」

「押忍、そうでした」

「やっぱ、全日本準優勝は伊達じゃないな。最近じゃ始めて森の試合見たが、やっぱ強いよ。大柄な外国人相手に突きで一本勝ちだもんな。それに比べて俺は……」

「いや、太郎先輩は仕方ないですよ。あんな常識外れな稽古をずっと続けてきて、大会前は逆に全く動かなかったんですから。隠岐師範もおっしゃるように、段々とエンジンが掛かってくるんじゃないですか?」

「段々とったって、もう世界大会本番だぜ。ぶつかる選手も徐々に強力な奴になっていく」

「……押忍」

 

第10回世界大会途中経過

 


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