第170話  超人への道

 

「……押忍」

太郎はうつむき、か細く返事をしたのみだった。
しかし、隠岐の言葉に声を荒げたのは森だった。

「隠岐師範! それはあまりに酷いです! 太郎先輩は何度も軽量級の王座に輝いているんです! しかも、それだけじゃない! この小柄な身体で、無差別の全日本で第3位に輝いているんですよ? しかも全日本の頂点に君臨している強豪達を破ってです! 今や世界のトップ選手であるイタリアのヴィンセント選手も打破して」

隠岐は、森の道場内に轟く大声にも、いささかも動じていないようだった。
隠岐は森をなだめるように、大きな手のひらを数回押し出した。

「結果は3位で凄いかもしれん。この俺だとて全日本の最高位は4位だからな。だがな、対戦相手をもっと考察してみろ。松崎、お前、高畑、それにヴィンセント……どれも発展途上だったはずだ。今ほど強い状態ではなかった。それに90kgを超えるような巨漢はいなかった。強豪だが、中条は中量級、志賀には不戦勝。運が良かったと言われても仕方ない」

「そ、そんな」

「ふふ、まあ良い過ぎなのはわかっている。俺が言いたいのは、世界大会出場選手達はどれも規格外の奴らばっかりだってことだ。一回戦から100kg級の奴に当たってもおかしくない。世界大会は全日本の二倍の256人が参加する。優勝するまでに、そんな怪物共と八回戦わないといけないんだ。いくら太郎が天才相馬に空手を教わり、桁はずれな集中力で稽古を重ねたとしても、俺は今の太郎が上位に進出できるとは思えん」

実際に世界の頂点に君臨した男の言葉は重かった。
二人とも声を失っていた。

「そんな過酷な戦場を体格に恵まれていない相馬が二大会連続で日本人唯一ベスト8に入ったってのは奇跡だ。いや、あいつが100年に1人の天才だからかもしれんが」

「お、隠岐師範は、太郎先輩を世界大会で通用するような男にしてくれるとおっしゃってましたが」

「ああ、世界の強豪達と渡り合うには……これはもう人間を辞める以外に方法はねえ」

「に、人間を辞める」

「そうだ。超人だよ!  漫画とかでいるだろ。人間離れしたパワーや技を持った超人」

「ど、どうやって……」

隠岐は大袈裟に肩をすくめた。

「そりゃあ、人間離れした稽古しかねーだろ」

答えにもならない答えを聞いたようで、森は目を丸くした。

「い、一体どんな稽古なのですか?」

「例えば、筋肉をつけたい時にベンチプレスとかやるだろ?」

隠岐は大きく背中を反らせ、太い両腕を前後に動かす。

「は、はい」

「短期間でマッチョになりたいと思って、馬鹿みたいにバーベルを上げ続けたらどうなる?」

「そりゃあ、超回復出来ずに逆効果でしょう。筋肉が駄目になっちゃいますよ」

「じゃあ、それを乗り越えられたら?」

「そ、そこまでやったことがないのでわかりません。まさか、それを乗り越えれば超人になれると?」

隠岐はゆっくりと後ろを向いた。

「わからん」

「え? そ、そんな」

「俺はな、現役時代に超人を目指し、絶えず自分の身体を苛めぬいてきた。まさに休息も無しにな。だから全日本でも優勝出来なかったんだな。しかし、世界大会の1ヶ月前……俺に起こったんだ。この一線を越えれば、何かとんでもない力が手に入りそうな、そんな瞬間が」

「そ、それで?」

「俺は、怖くなった。世界王者になるために今まで頑張ってきたのに、本番で力が出せないんじゃないかとな。そこで、その日から本番までは何もしなかった。回復に努めた。効果ありだったよ。今まで本領を出し切れていなかったのが爆発した。世界大会で決勝まで一気に駆け上がり、そして不動を倒して世界一さ。でもその時は本領を発揮出来たから優勝出来たにすぎない。超人になれるかもってところで俺は逃げちまったからな。まあ、俺は、見ての通り186cmもあって体格に恵まれてたからな。ナチュラルでも世界の奴らと戦えたんだな」

「な、なるほど」

「だが、太郎は違う。164cmだったか? 世界大会で言えば、これはどう見てもチビだ! とてもそのままじゃ、奴らには勝てない」

「押忍」

さきほどからずっと黙って隠岐の話を聞いていた太郎が返事をした。

「どうだ? 賭けてみないか、俺に。俺もな、見たいんだよ、超人を。まあ、苦しむのは俺じゃねーし気楽なもんだが、お前も世界を取らないといけない理由があるみてーだしよ」

「お、押忍」

「さっそく、やってみるか?」

太郎に迷いは無かった。

「押忍!  お願いします!」

 

 

隠岐は用意していたベンチプレス用の台に太郎を寝かせた。

「稽古は色々考えてあるが、1日に1種目しかやらねえ。しかも1時間のみ。今日はベンチプレスにする」

「押忍」

「初回は……とりあえず40kgだな」

「よ、40kgでいいんですか?」

今は、ベンチプレスなどの練習から遠ざかってしまったが、板橋道場の時は、100kgを上げるまでになっていた。やり始めた頃の40kgはとても重く感じたものだが、絶頂期にはなんなく数十回挙げる事が出来た。

「よし、じゃあ行くか。覚悟しろよ。1時間だ」

「い、一時間?」

「お、隠岐師範。さすがにそれは無理では?」

隠岐は不敵な笑みを浮かべる。

「森、言ったろ。俺の稽古は1日1時間なんだ。その1時間で人間の限界を突破させる必要がある。いや、逆に1時間だからこそ集中が保て、限界を突破出来るのかもしれん。それに辞めたきゃ太郎が自分の意思で辞めればいい」

「森、大丈夫だ。やってみるよ」

「……押忍」

「よし、じゃあ俺の合図とともに持ち上げるんだ。それだけのことだ。後、森よ。太郎から目を離すなよ」

「お、押忍」

「行くぞ!」

「押忍!」

 

超人への試練が始まった。
隠岐は単調に数を数えていく。

 

序盤は順調だったが、70回手前からペースが落ち、100回を超えた辺りから一気に腕に力が入らなくなっていった。

まだ5分も経っていない。

「どうした太郎。合図に合わせろ!」

「ぐぐっ!」

もはや返事もままならない。

 

ついにバーベルは太郎の胸の上に止まったままになってしまった。
太郎の顔は真っ赤に色づいている。

「そうか、もう終わりか。ただ筋肉痛になって稽古に支障が出る程度。全く無駄だったな」

「お、隠岐師範……それは」

森が隠岐を睨む。

「太郎!  お前には成し遂げねばならないことがあるんだろ。それは半端な努力では手に入らないものだ。だが、今のお前はまさに半端な努力しかしていない。辻に打ち勝って世界大会出場を決めた……それで満足ならそれでいい。世界中から神覇館の最強選手が集まる大会だ。出場出来るだけでも意義があるってもんだ。しかし、お前も目指すべきところはそこじゃないはずだ!  世界一になるんだろ!  それには、マイケル!  ロベルト!  アレクサンドル!  レオナルド!  世界の最強戦士達を打ち倒さなければならん!  太郎!  覚悟を決めろ!  やるしかねえんだ!」

「ぐうう……お、押ー忍!」

太郎は意地でバーベルを持ち上げた。
震える腕、折れそうなほど食いしばる歯。

「よし、行くぞ!」

隠岐は先ほどと同じペースでカウントをする。
太郎の口からは気合とは別のなにか壊れたモーターの音のような声。
森は段々と不安になってきた。

「あわわ……太郎先輩……」

 

太郎のバーベルは、既に隠岐の号令に大きく遅れるペースになってしまった。

 

10分が経過したところで、太郎の腕からバーベルが落ちた。
とっさに森が受け取った。

「うおっとと」

「おお!  森、ナイスサポートだな。マジで限界だったようだな。たった10分……これが今のお前の限界だ」

「……」

太郎は、既に声を出せる状態になかった。
顔も真っ青になっていた。

「太郎!  この稽古は超人的な身体を作るだけじゃない。精神も作り上げるものだ。お前は運よくその稽古が出来る」

「太郎先輩に出来る精神の稽古とは?」

「昼間の仕事だよ。仕事中は一切辛い顔を見せるな。常にいつも通りでいろ。意地を張るんだ!  この意地は世界大会が終わるまで張り続けるんだ!  まあ、たったの半年だけだ」

「……押忍」

「明日、やる気があったら来い。待ってるぞ。森、太郎はまともに歩けないだろうから、おぶって行け」

隠岐の言う通り、太郎は台から立ち上がることも出来なかった。

 

 

森は太郎をおぶって帰宅した。

「太郎先輩……大丈夫ですか?」

「……ああ、でも今日が金曜日で良かったよ。とても明日仕事出来そうにない」

太郎の腕は絶えず大きく震えていた。

「これが人間の限界……壊れるか、超えるか。やってみるしかないか」

「太郎先輩……お手伝いします」

 


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