第169話  何故だ?

 

山海原島。
その日、森はアルバイトが休みだった。
太郎とともに世界大会に出場が決まったとあって、俄然稽古に集中していた。

6月の島の浜辺はうだるような暑さだ。

そこで森は走り込みや基礎体力に力を入れていた。
仕上げに砂浜でのジャンピングスクワットだ。
身軽というのもあるが、太郎はすでに200回を連続でこなしている。
森は181cm、90kgの巨漢でありながら、100回をこなせるようになった。

 

 

森が足の激痛に耐えながら100回を終え、砂浜に座りこむと、大きな影が森を覆った。
驚いて後ろを振り向くと、そこには大男が立っていた。

「よお」

「お、押忍! 隠岐師範!」

第6回世界大会王者の隠岐だ。
2ヶ月前に道場に挨拶に行って以来だ。

「浜辺でのジャンプをあれだけの量こなせるとはな。さすが全日本準優勝は凄いな」

「きょ、今日はどのようなご用件で?」

「ああ、ちょっと、君に聞きたいことがあってな。太郎の事」

「太郎先輩のことですか?」

隠岐は、近くにあった岩場に勢いよく座った。

「お前らの稽古、実はちょくちょく覗かせてもらってるぜ」

「そ、そうだったんですね」

「お前の練習も凄いが、太郎の稽古は何だありゃあ? まるで親の敵でも取ろうって形相だな」

「お、押忍」

「あいつはさ、公務員なんだろ。安定してるじゃねえか。なのになんであんなに必死に稽古する必要がある? 何か理由があるはずだ。俺の経験上、強くなりたいだけであそこまで必死になれる奴はいなかった」

「……押忍。お察しのとおり、大きな理由があります」

「お? やっぱりか。何だ? 何が奴を動かしてんだ?」

森は大きく息を吸い込み、静かに答えた。

「……愛です」

「あ、愛?」

「そうです。太郎先輩は愛の為に戦っておられるんです」

「愛の為にい? 女の為にか?」

森は深く頷いた。

「まさか、世界一になったら一発やらしてくれる女がいるとか……そんな話か?」

隠岐は無精髭を掻きながら、立っている森の顔を覗き込んだ。

「い、一発があるかどうかはわかりませんが、まさに、世界一になるべく頑張っておられるんです」

「はあああ」

隠岐は、両手を頭の後ろに回し、なお不思議そうな顔をしている。

「一発やらせてくれるかもわからねー女の為に世界一にねー……」

森は俯き、顔を赤らめている。

「女の為に命がけの太郎にもビックリだが、そんな奴にこんな島までついてくるお前にもビックリだよ」

「わ、私は、太郎先輩に惚れてしまったんです。強さにも。そんな一途なところにも」

「はあ、ほお。わはははは。面白い奴らだな。愛の戦士に、従順な僕(しもべ)か」

隠岐はすっと立ち上がり、森の肩をポンポンと叩いた。

「もし、本気で世界の強豪と互角に渡り合いたいんなら……俺のところに来い!」

「へ?」

「死ぬかもしれんが、生き残れば世界に通用する男になれんだろ」

「お、隠岐師範! では隠岐師範のご指導を受けれるんですか?」

「ああ、だがなあ、条件がある」

「な、なんなりと!」

「教えるのは太郎だけだ」

「! !」

森は予想外の条件に言葉を失った。

「ぼ、僕では、隠岐師範の稽古についていけないということですか?」

森は、詰まるように問いただした。

「いや、そうじゃない。お前も全日本上位の強豪だ。それにその体格。世界大会でも活躍できるだろ」

「ならば何故?」

「……俺の稽古はな、さっきも言ったように死ぬかもしれんのだ。耐え凌ぐにはそれなりの覚悟がいる。それには、心こもったサポートがいるんだよ。それが出来るのはお前しかおらんだろ? 太郎に惚れてんだろ? 太郎にはお前が必要なんだよ」

「な、なるほど」

「それに俺の指導は一日一時間くらいなもんだ。後は、二人で好きにすればいいさ」

「え? そんな短時間なんですか?」

「ふふ、そうだ。だが太郎は死ぬ思いをする。まあ、助けてやるんだな」

そう言うと隠岐は去って行った。

 

「何だか大変なことになった。……しかし、太郎先輩の必死さは、あの隠岐師範の心すら動かしたんだ……さすが太郎先輩」

森はさらに太郎に心酔するのだった。

 

 

太郎が仕事を終え帰宅すると、家の前で森が待ち構えていた。

「おかえりなさいませ!」

「……お前は新妻か? どうしたんだよ、今日は」

「実は、昼間隠岐師範に会いまして」

「え? また道場に行ったの?」

「いえ、隠岐師範の方から……」

森は昼間の顛末を興奮気味に太郎に語った。

「なっ、森、愛だの何だの……恥ずかしいじゃないかよ!」

「押忍、失礼しました」

「まあ、でも、世界チャンピオンの指導が受けられるとは……しかし一日1時間程度とは……」

「さっそく行ってみましょう!」

 

 

太郎と森は夜道を進み、隠岐の道場に辿り着いた。

既に子ども達の稽古は終わっているのだろうか。
道場はしいんと静まり返っている。

ドアを開けると、明りのついた道場内で隠岐が何やら用意をしていた。

「おお、来たか!  待ってたぞ」

「押忍!  隠岐師範!  自分に稽古をつけていただけるそうで……」

「ふ。まあ、空手の稽古じゃねーけどな」

「え? 空手の稽古じゃない?」

「そうだ。お前は空手の極意をあの天才から叩きこまれたんだろう?」

相馬の事だろう。

「俺はあいつみたいに理論的でも合理的でもないんだ。だが、一つわかっていることがある」

「……一つ?」

「そうだ。お前じゃあ、世界の強豪に勝つのは無理だってことだ。最終日、ベスト32にも残れやしねーよ」

 


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