山海原島。
その日、森はアルバイトが休みだった。
太郎とともに世界大会に出場が決まったとあって、俄然稽古に集中していた。

6月の島の浜辺はうだるような暑さだ。

そこで森は走り込みや基礎体力に力を入れていた。
仕上げに砂浜でのジャンピングスクワットだ。
身軽というのもあるが、太郎はすでに200回を連続でこなしている。
森は181cm、90kgの巨漢でありながら、100回をこなせるようになった。

 

 

森が足の激痛に耐えながら100回を終え、砂浜に座りこむと、大きな影が森を覆った。
驚いて後ろを振り向くと、そこには大男が立っていた。

「よお」

「お、押忍! 隠岐師範!」

第6回世界大会王者の隠岐だ。
2ヶ月前に道場に挨拶に行って以来だ。

「浜辺でのジャンプをあれだけの量こなせるとはな。さすが全日本準優勝は凄いな」

「きょ、今日はどのようなご用件で?」

「ああ、ちょっと、君に聞きたいことがあってな。太郎の事」

「太郎先輩のことですか?」

隠岐は、近くにあった岩場に勢いよく座った。

「お前らの稽古、実はちょくちょく覗かせてもらってるぜ」

「そ、そうだったんですね」

「お前の練習も凄いが、太郎の稽古は何だありゃあ? まるで親の敵でも取ろうって形相だな」

「お、押忍」

「あいつはさ、公務員なんだろ。安定してるじゃねえか。なのになんであんなに必死に稽古する必要がある? 何か理由があるはずだ。俺の経験上、強くなりたいだけであそこまで必死になれる奴はいなかった」

「……押忍。お察しのとおり、大きな理由があります」

「お? やっぱりか。何だ? 何が奴を動かしてんだ?」

森は大きく息を吸い込み、静かに答えた。

「……愛です」

「あ、愛?」

「そうです。太郎先輩は愛の為に戦っておられるんです」

「愛の為にい? 女の為にか?」

森は深く頷いた。

「まさか、世界一になったら一発やらしてくれる女がいるとか……そんな話か?」

隠岐は無精髭を掻きながら、立っている森の顔を覗き込んだ。

「い、一発があるかどうかはわかりませんが、まさに、世界一になるべく頑張っておられるんです」

「はあああ」

隠岐は、両手を頭の後ろに回し、なお不思議そうな顔をしている。

「一発やらせてくれるかもわからねー女の為に世界一にねー……」

森は俯き、顔を赤らめている。

「女の為に命がけの太郎にもビックリだが、そんな奴にこんな島までついてくるお前にもビックリだよ」

「わ、私は、太郎先輩に惚れてしまったんです。強さにも。そんな一途なところにも」

「はあ、ほお。わはははは。面白い奴らだな。愛の戦士に、従順な僕(しもべ)か」

隠岐はすっと立ち上がり、森の肩をポンポンと叩いた。

「もし、本気で世界の強豪と互角に渡り合いたいんなら……俺のところに来い!」

「へ?」

「死ぬかもしれんが、生き残れば世界に通用する男になれんだろ」

「お、隠岐師範! では隠岐師範のご指導を受けれるんですか?」

「ああ、だがなあ、条件がある」

「な、なんなりと!」

「教えるのは太郎だけだ」

「! !」

森は予想外の条件に言葉を失った。

「ぼ、僕では、隠岐師範の稽古についていけないということですか?」

森は、詰まるように問いただした。

「いや、そうじゃない。お前も全日本上位の強豪だ。それにその体格。世界大会でも活躍できるだろ」

「ならば何故?」

「……俺の稽古はな、さっきも言ったように死ぬかもしれんのだ。耐え凌ぐにはそれなりの覚悟がいる。それには、心こもったサポートがいるんだよ。それが出来るのはお前しかおらんだろ? 太郎に惚れてんだろ? 太郎にはお前が必要なんだよ」

「な、なるほど」

「それに俺の指導は一日一時間くらいなもんだ。後は、二人で好きにすればいいさ」

「え? そんな短時間なんですか?」

「ふふ、そうだ。だが太郎は死ぬ思いをする。まあ、助けてやるんだな」

そう言うと隠岐は去って行った。

 

「何だか大変なことになった。……しかし、太郎先輩の必死さは、あの隠岐師範の心すら動かしたんだ……さすが太郎先輩」

森はさらに太郎に心酔するのだった。

 

 

太郎が仕事を終え帰宅すると、家の前で森が待ち構えていた。

「おかえりなさいませ!」

「……お前は新妻か? どうしたんだよ、今日は」

「実は、昼間隠岐師範に会いまして」

「え? また道場に行ったの?」

「いえ、隠岐師範の方から……」

森は昼間の顛末を興奮気味に太郎に語った。

「なっ、森、愛だの何だの……恥ずかしいじゃないかよ!」

「押忍、失礼しました」

「まあ、でも、世界チャンピオンの指導が受けられるとは……しかし一日1時間程度とは……」

「さっそく行ってみましょう!」

 

 

太郎と森は夜道を進み、隠岐の道場に辿り着いた。

既に子ども達の稽古は終わっているのだろうか。
道場はしいんと静まり返っている。

ドアを開けると、明りのついた道場内で隠岐が何やら用意をしていた。

「おお、来たか!  待ってたぞ」

「押忍!  隠岐師範!  自分に稽古をつけていただけるそうで……」

「ふ。まあ、空手の稽古じゃねーけどな」

「え? 空手の稽古じゃない?」

「そうだ。お前は空手の極意をあの天才から叩きこまれたんだろう?」

相馬の事だろう。

「俺はあいつみたいに理論的でも合理的でもないんだ。だが、一つわかっていることがある」

「……一つ?」

「そうだ。お前じゃあ、世界の強豪に勝つのは無理だってことだ。最終日、ベスト32にも残れやしねーよ」

 


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