第160話  太郎の新天地

 

3月。

太郎、出発の日がやってきた。

太郎が勤務する山海原諸島には、飛行機で行くことが出来ないため、
フェリーで丸一日を掛けて行く。

 

フェリー乗り場には、マスター、郁美、中条、正宗が来てくれた。

森は当日用事があるそうで、来れなかったようだ。

 

「太郎君。長い間、店手伝ってくれてありがとうな」

「いえ、僕の方こそ。住むところのない自分みたいな奴を雇っていただいて」

「ははは。出会いって面白いな」

マスターと固い握手をする。

郁美は先ほどから元気が無い。
 

正宗とも握手をする。

「太郎先輩、俺っち、神覇館さんとも仕事するようになりましたよ」

「ん? どゆこと?」

「今度、神覇館の大会のアナウンスをやることになったんです。選手の呼び出しとかですね」

「ふえー、正宗がそんな仕事すんの?」

「岩村Pにお願いされたんで。俺は、恩返しのつもりでがんばりますよ」

「そっかー」

「ちなみに、次の体重別全日本の大会の収録の時の実況やるんで。太郎先輩の時は特に気合入れちゃいますよ」

「おお、凄いな」

「相馬先輩とダブル優勝しちゃって下さいよ」

「……ああ、まかしとけ」

 

中条はメガネをクイッと上げる。

「太郎君。仕事をしながら選手の稽古をやるってのは、想像以上に大変だぞ。世界大会を目指すような目標があるならばなおさらだ。それに社会人に、公務員になるからには仕事に支障があっちゃあならない。それは大人の常識、いや、意地だ。カッコいい公務員になってくれ」

「意地……押忍。ありがとうございます。頑張ります!」

「後な……他人の気持ちは無下にあつかってはならないぞ」

「ん? 他人の気持ちですか? 僕、何かしましたでしょうか?」

「ふふ、今後何があっても……さ」

「お、押忍」

中条が何を言わんとしているのかは、良く分からなかったが、別れの時間がやってきた。

 

先ほどから口を開かない郁美に近づく。

「郁美ちゃん。いろいろありがとうね。俺さ……」

太郎が話している途中で郁美は太郎に抱きついた。

「わわっ」

「寂しいよー」

一同が驚いた表情を浮かべた。

だが、意外にもマスターは笑顔を浮かべている。

「じゃあね、太郎先生」

「うん。お父さんを大切にね」

 

 

 

太郎は、単身フェリーに乗り込んだ。

ここからは一人だ。

 

フェリーから眺める海は最高だった。

都会の空気とも山の空気とも違う。

潮風に吹かれながら、徐々に本島から離れていく。

 

「ようやくなるんだな。社会人に」

 

来年度は28歳。

同級生たちとは社会人として大きく出遅れてしまった。

「まさか、社会人1年目が、都会のオフィスではなく、東京から遠く離れた島とはね」

社会人開始という人生のスタートラインに立った太郎だったが、大きな試練も待ち構えている。

「6月には3年ぶりの体重別全日本大会。そこで優勝できれば、11月にはついに世界大会だ」

長いブランクのある自分が、果たして世界大会に出場できるのか。

 

「あんなに死ぬ気で頑張っていた4年前でさえ、世界大会への切符を逃したからな」

ふと、太郎は昨日の出来事を思い出した。

本島にいる間にしておかなければならないことがあったのだ。

それは、葉月からもらったお守りを池袋の公園にあるベンチの裏に縛り付けること。

 

大きな挫折に打ちひしがれた場所。

4年前、葉月と初めて出会った場所。

 

「凄く遠くの島に行くのって、いままでの生活をリセットするような気持ちになるなあ」

太郎は大きなため息を吐いた。

「孤独。ただ孤独なんだろうな」

社会人としての生活。

世界大会を目指した稽古。

これらよりも、孤独になるという事実に胸が詰まりそうになる。

「郁美ちゃんやマスターもいない。中条さんや、森や、正宗もいない。さみしいよなあ」

 

 

 

丸一日を掛け、フェリーは山海原諸島の山海原島に到着した。

太郎が港に着くと、太郎を出迎える男がいた。

「え? 森?」

「太郎先輩! お待ちしておりました」

なんと、そこには森が立っていた。

「なんで、お前がここに?」

「太郎先輩の稽古にお付き合いしたいと思いまして。いくら太郎先輩であっても、一人稽古じゃあ世界大会へは出れませんよ!」

「いやいやいや、お前にも生活があんだろ!」

「自分は地元ではラーメン屋のアルバイトをやってましたんで、既にこの島でもラーメン屋の仕事を始めました。ははは」

「森、お前って奴は!」

孤独な生活になるかと思っていた矢先、非常に頼もしい見方が出来た太郎だった。

 


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