第155話  涙の拳

 

相馬、確かに相馬だ。
うつろな目で太郎を見つめる。

 

「久しぶりだな。元気だったか?」

「は、はい」

太郎の返答を聞いて相馬は悲しそうな表情を浮かべた。

「そうか、元気でなによりだな」

相馬は、何の迷いもなく足元に置いてあったバッグに手を伸ばす。

 

いけない。

このままでは。

太郎はいけないと思った。

 

「そ、相馬先輩。そ、その、か、館長が」

相馬はバッグを肩にかけた。

「ああ。逝っちまったみてーだな」

相馬は巨木を見上げる。

「でもよお、良かったんじゃねーか。自分が一代で築き上げた神覇館の、全日本大会で息を引き取るとはよ。幸せ者だよ、館長は」

そういうと相馬は太郎が来た方向とは逆の方向を向いた。

 

切れる。

切れてしまう。

相馬とのつながりが。

 

「せ、先輩は空手を辞めてしまったんですか?」

「あ? お前もだろ」

相馬は後ろを振り向いて太郎をにらみつける。

「じ、じつは僕は稽古を再開しました。来年の体重別に出場するつもりです」

「ほお」

「そ、そして世界大会を目指します」

太郎の言葉を聞き終えると、相馬は笑い声をあげた。

「ははは。太郎、お前世界大会をなめてんのか? 全国で空手を必死に頑張ってる奴が何人いると思ってんだよ。世界大会に出るってことは、そいつらのトップを取らなきゃならないんだぜ。4年間毎日修行している奴もいる。仕事も家族も放り投げて空手に専念している奴もいる。そんな奴らにお前が勝てんのか? どっかの優秀な道場にでも入門しなおしたのか?」

「い、今は一人で修行してます」

「なるほどね、一人でね」

馬鹿にしたような言い方。

以前の相馬ではない。

 

違う。

別人だ。

 

「相馬先輩はおっしゃいました。黒帯を締めるってことは、一人で修行ができると。だから一人でも大丈夫です」

「はん。まあいいさ。おめーがどうしようと俺には関係ねーからな」

相馬は太郎に背を向けて歩き始めた。

 

太郎の中で冷たいものが流れた。

これはなんだ。

これは悲しみ。

悲しみの冷たさ。

 

太郎は、よろよろと歩きだし、右手で相馬の肩を掴んだ。

相馬は振り返る。

「なんだよ。離せバカ」

その刹那、太郎は握りしめた左拳で相馬を殴りつけた。

ほほを打ち抜かれ、相馬はしりもちをついた。
長く伸びた髪が相馬の額にかかる。

「いてーな。ったく何しやがるんだよ」

そういうと、相馬は立ち上がり、ほほを抑えながらまた歩き始めた。

 

嘘だ。

違う。

この人は相馬清彦じゃない。

 

太郎は相馬の背中を強引につかみ、その場に引き倒した。

そして、あおむけに倒れこんだ相馬に馬乗りになり、うめき声をあげながら、相馬を殴り始めた。

 

一発。

 

二発。

 

切れも悪い。

 

力も無い。

 

最低な突きだ。

 

徐々に相馬の顔がぬれ始めた。

太郎の涙なのか、相馬の涙なのかわからない。

相馬は太郎の拳をよけもせず受け続けた。

 

 

 

どのくらいの時間が経ったのかわからない。

「もういい、もういいよ太郎」

相馬の言葉に太郎は殴るのを止めた。

「あ、あ」

「とにかくどけ」

太郎は相馬の上から這うようにして降りた。

「っち、ひでー奴だな。いきなり殴りかかるなんて」

そういうと、相馬は起き上がり、あぐらをかいた。

 

太郎は、相馬の前で震えながら正座する。

「・・・・・・ふー。まあ、悪かったな、本当によ。俺のせいでお前もロベルトも離れ離れになっちまったのは知ってるよ」

相馬は申し訳なさそうにうつむいている。

この男は、本当に相馬清彦なのだろうか。

 

人は変わる。

 

絶対なんてないんだ。

 

「そ、相馬先輩」

「あ?」

「ぼ、僕と一緒に世界大会を目指しませんか?」

「はあ、太郎。さっきも言ったろ。いかに第一線で戦ってた俺らでも、何年も空手から離れていたんじゃ無理だよ」

「う・・・・・・」

「ブランク。これほど強大な敵はない。裏を返せば継続ってのは、何ものにも代えがたい素晴らしいことなんだ」

 

何度も聞いたことのある言葉。

継続は力なり。

 

「お前は、何のために世界大会に出るんだよ。何で、空手を再開するんだ。俺を誘い込むほどの理由があんのかよ?」

「そ、それは」

「ねーだろ、別に」

相馬は軽く笑みを浮かべた。

「俺は、全日本を制し、世界でも3位を取れた。限界組手くらいはやってみたかったけど、まあ十分過ぎるほどの結果は出したと思ってるよ。今さら、これ以上やることなんて・・・・・・」

「僕は・・・・・」

「ん?」

 

「僕は、世界一になりたいんです!」

 

 

太郎の言葉に相馬は固まった。

相馬はしばらく目をつむり、口を開いた。

「ふ、ふふ。そうか、お前は世界一になりたいのか・・・・・そうか、そうだったな」

 

相馬は、ゆっくりと立ちあがり、バッグを背負った。

「お前がどうして世界一になりたいのかは知らないが、その願いを達成するためには絶対に必要なことがある。何だかわかるか?」

「お、押忍、な、なんでしょうか」

「俺を倒すことに決まってんだろ」

「そ、相馬先輩!」

「ふ、俺達一兵卒は体重別からやり直しだな」

「戻るんですね!  空手の世界に!」

「ああ、こんなことされたんじゃあな。俺は板橋道場に戻るぜ。お前も……」

相馬は太郎の表情の変化を察知した。

「……お前はもう一人前だ。相馬軍団は卒業してんだ。もうお前に教えることはねーよ。お前はお前のやり方で這い上がって来い」

「お、押忍」

太郎は目から涙が止まらない。

「泣くんじゃねーよ。それにな、空手家は拳で語るもんだぜ」

 

相馬は汚れた服をはたいて立ちあがった。

「……太郎。悪かったな。俺が……俺のせいで皆バラバラになっちまった。本当にすまない」

「……謝るなんて、先輩らしくないじゃないですか」

「……認めることが出来なかったんだよ」

「ロべに負けたことですか?」

「いや……ロベは強かった。奴の方が強かったんだ。……俺は、ロべに負けて愕然としている。混乱している自分が……そんな弱い自分を認めることが出来なかったんだ。普段いきがってるくせにさ。一回弟子に負けたくらいで……会場の外で泣いてたんだぜ、俺。そんな俺が、皆の前にどの面下げて会えるってんだよ。情けないったらねーぜ」

「……先輩」

「でも、それも今日で終わりだ。……太郎、ありがとな」

「いや、そんな」

「……少しは期待してたんだ。ここにくれば、お前に会えると」

「え……」

そう言って、相馬は去って行った。

 

自分の傍にいた、傍若無人で、最強な先輩は、一人の人間だったのだ。

 

太郎は世界大会に出るもうひとつの責任ができた。

 


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