第152話  孤独な再開

 

「ただいまー」

夕方、郁美が大学から帰宅した。

「おかえりなさい」

太郎は、店の後片付けをしている。

「今日も早いね。飲み会とかないの?」

郁美は春から都内の女子大学に進学している。

「余計なお世話だ。はい、これ郵便受けに入ってたよー!」

郁美は太郎に封筒を手渡した。

開けると、東京都の合格通知が入っていた。
あの掲示板にあった番号は印刷ミスでは無かった。

「本当に受かったんだねー!  凄い、太郎先生」

「ありがと。ご飯出来たら呼ぶからさ」

「はあい」

郁美は店の奥にいるマスターにも挨拶をして、裏の家に入った。

「マスター。郁美ちゃんも、女子大生が様になってきたんじゃないですか?」

マスターはエプロンを取り外しながらホールに出て来た。

「そうかなあ、まだ高校生が抜けてないような……」

まんざらでもない顔で口ひげをなでる。

「でも、帰宅も早いし、どこに行くかちゃんと言って行くし。いやー、郁美ちゃんは良い子ですよ」

「まあ、そうだな」

大学合格が決まった後も郁美は、一人暮らしがしたいとも言わなかったし、夜通し飲みに行くということもなかった。

「そろそろ彼氏とか連れてきますよ」

「そおだなあ」

顔つきが変わるかと思いきや。
太郎はマスターの反応が意外だった。

「あれ、いいんですか」

「ああ。まあ、今の時期に男を見る目を養わないとな」

「マスター、さすが大人ですね」

「……この考えは君から聞いたと郁美が言ってたが?」

「あれ? そんなこと言ったかな?」

 

 

食事を終え、太郎は自室であるモノ置きに戻り、着替えを始めた。
壁に掛けてある大きな鏡に自分の姿が映る。

「細い腕、出っ張った腹……まるで餓鬼だな」

ほぼ2年間、全く運動をしてなかったのだ、当然かもしれない。
空手を始める前でさえもう少しましな体型であったような気もする。

太郎は、短パンとランニングに着替え、マスター達の家のリビングへ。

「太郎君、何だその格好は?」

「太郎先生?」

ソファーでくつろいでいた二人はびっくりしている。

「今日から、外で運動してきます。店はきちんと戸締りしますんで」

「わー、太郎先生復活だね!」

「そうかあ、いいじゃないの!」

太郎の口からは運動という言葉が出た。
はばかられるのだ……稽古と言うのは。

 

 

太郎は8月の熱帯夜をジョギングし、湘南の海岸に着く。

「どこまでできるか、わかんないけど……やるしかねえ!」

太郎は砂浜を走り始めた。

 

軽く走っているのだが、すぐに息切れする。

「はあ、はあ、本当に俺は、水河太郎か? 無差別の全日本で、怪物達とやりあってた水河か?」

足首か痛む、横腹が痛む、のどが痛む。

しかし、久しぶりのそんな感覚も懐かしく、心地よい。

身体を温める為にジョギング的に走っていたつもりが、20分でもう体力が尽きた。

「はあっ、はああ……うえ」

太郎は、砂浜に大の字になって寝転がった。

「なつかしいな。空手を始めたばかりのようだ。この口の中に広がる鉄のような味もさ」

太郎は、その後もしばらく走り続けた。

 

 

店に戻ると、携帯に着信があった。
森からだ。

「電話くれたみたいだね」

「押忍、すいません。実は太郎先輩の復帰の話を野口師範にしたんです」

野口は森の師で、全日本大会等の大会実行委員長だ。

「そうしたら、非常に喜んでまして。3ヶ月後の全日本の組み合わせを今、作っている最中なんですが、太郎先輩を入れてもいいっておっしゃってまして。前々回の第3位ですから、当然だとは思うんですが。太郎先輩、出ていただけますよね?」

森は興奮気味だが、太郎はしばらく悩んだ末。

「いや、俺は全日本出場はしないよ」

「え? でも、来年の世界大会の出場権のかかった大会ですよ?」

「まあそうだな。でも、全日本に出場するために地方の大会やら、体重別やらで頑張っている選手がたくさんいるだろ。俺もその一人だった。それなのに、2年も空手から遠ざかっていた俺が、ぽっと出る訳にはいかないよ」

「し、しかし……」

「わかってるよ。当然、俺の目標は世界大会出場だ。それは変わってない。だから、来年の夏の体重別の全日本に出るよ」

「で、でも体重別での世界大会出場権は各階級の優勝者のみですよ。全日本はベスト8に入ればチケットは貰えます。ある意味、全日本より体重別のほうが、世界大会の出場権をもぎ取るのは難しいかもしれませんよ」

「まあね。でも、同じ軽量級のトップに立てないようでは、当然、無差別の世界大会で勝ち抜くことは出来ない。大丈夫。しっかり稽古するさ」

「そ、そうですか。わかりました。何か協力出来ることがあったら言って下さい」

「ああ、ありがとう」

電話を切って、太郎はシャワーを浴びる。

「ああ、カッコつけたけど、本当は、3ヶ月じゃあ全日本に出場出来る状態にはならないわな。でも、やるしかない」

相馬もいない。ロベルトもいない。太郎の孤独な戦いが始まった。

 


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