第146話  模試の帰り道

 

今冬の初雪は、関東では、珍しく2月だった。

その日、日曜日にマスターから休暇をもらい、太郎は東京に来ていた。
試験直前期の模試を受ける為だ。

どうぜ、1日休みをもらうなら、久しぶりに東京入りしようと考えたのだった。

この時期になると、もはや頭の中は試験一色であり、仕事中も論文の一節が頭に浮かぶ。

 

夜は、同じく受験生である郁美が太郎と一緒に店の机で勉強するようになっていた。

自分の高校3年生の時と比べると何だか情けない気持ちになってしまう。
勉強道具は広げるが、だらだらとテレビを見たり漫画を読んだり。

当然に浪人に突入。

そこそこに有名な大学に入った太郎の事を、受験生の郁美は羨望のまなざしで見てくるが、太郎からすれば、現役で大学に合格することの方が、数段凄いことのように思える。

 

 

電車を乗り継ぎ、新宿に着く。
公務員の試験は、朝から夕方までというのが一般的であるので、模試も同じく始まる時間が早い。
が、日曜日であるというのに早い時間から人でごったがえしている。

平日、社会人の出勤時間はいかほど混雑するのか、太郎には想像がつかない。
駅にほど近い予備校で模試を受け、夕方に解放された。

「あー、尻が痛いぜ」

一日中拘束されていた太郎は、このまままっすぐ帰るのが惜しい気持ちになってきた。

「……板橋道場に寄ってみるか?」

そう口にしてみたものの、そんな気持ちはさらさらない。
今の自分が、どの面さげて道場の皆に会えというのか。

「無理だわな」

 

 

2月と言えば、太郎にとって思い出深い月である。
それは、相馬に初めて出会った月。

「その一年後に、都大会に出たんだよなー。そんときに、中条さんと戦ったっけ。もう4年前かー、時が経つのは早いなー」

大会も今日と同じ2月の第3日曜日に開催されていた。
もしかしたら、今日やっていたのかもしれない。

「……散歩がてらに会場に行ってみるか」

当時は、岩村の車に乗っけてもらったが、たしか会場は、都営大江戸線の駅の近くだった。

太郎は、地下深くの大江戸線駅に向かい、そこから地下鉄に乗った。

 

 

終点の駅で降り、歩いていると、会場はあった。
そして予想通り、今日、都大会が開かれていたらしい。

看板が出ていたが、大会自体はもう終わっているようだった。
スタッフらしき道場生が片づけをしている。

 

太郎が会場の中を覗いていると、数名の道場生が太郎の方をちらちらと見ている。

昨年度の体重別軽量級王者であり、全日本第3位。
さらにテレビ出演までしていた太郎は、ちょっとした有名人だった。

そして、去年から大会に姿を見せていないことも、いっそう道場生達に注目させた。

「(今の俺じゃあ、噂している彼らにも勝てないんだろうなあ)」

 

と、一人の道場生が太郎に近づいてきた。
二十歳くらいでジャージ姿。まだ入りたてのようだ。

「み、水河選手ですよね……?」

「お、押忍。そうです」

最近、『押忍』を言う機会が無いので、噛んでしまう。

「や、やっぱり、相馬軍団の水河選手だ。凄い!  やっぱりオーラが違いますね!」

そりゃあ、稽古もやっていないのだ。
現役の空手家とはオーラが違って当然だ。

「じ、実は、僕の先輩が、水河選手の大ファンでして、しょっちゅう水河選手の話をしているんです。最近、大会に出てらっしゃらないので心配してまして……その……呼んできてよろしいでしょうか?」

太郎の鼻の下が少し下がる。 

「(むむ、誰だ? 女性だな、きっと)ど、どうぞ」

 

太郎は、会場の入り口で少し待つことになった。
神覇館には、多くの女性道場生がいる。

あずさもその一人だったが、空手をやる女性は、健やかでさわやかだ。

 

 

しばらく待っていると、先ほどの道場生と一緒に太郎の大ファンが現れた。

「げ!  森!」

太郎の大ファンとは、千葉支部の森だった。
秋の全日本では見事第3位に輝いた。

太郎とはその前年の全日本の第2回戦で激突している。

森とは何度か顔を会わすことがあったが、昔のような暗さは無くなっているような気がした。

今は、以前のような丸坊主ではなく、短髪を逆立たせている。
少し色気づいたのだろうか。

「た、太郎先輩!」

太郎先輩? そんな呼び方をしていたのか。

「森君、久しぶりだね。全日本で3位になったらしいじゃん。凄いね」

森は突然、涙を浮かべた。

太郎の言葉に対してでは無い。
太郎に会えた事自体に感動しているらしかった。

「一体どうしたんですか? 僕は、太郎先輩と再戦することを楽しみに1年間頑張ってきたんですよ!  それが、相馬先輩ともども神覇館からいなくなってしまうなんて……」

「ご、ごめん」

自分の知らないところで、自分のことを心配してくれている人がいるのだ。
中条しかし、森しかり。

太郎は森に受験の為に空手から離れていることを伝えた。
神覇館を離れても、意外なところで、繋がりがある。

「そういえば、志賀選手が限界組手やったみたいだね」

「押忍、先週ですね。自分も相手させていただきました。85人目で館長からストップがかかりました」

「は、85人……」

「レオナルド選手のように100人は行きませんでしたが……凄まじい強さでした。もはや日本であの人に勝てる者はいないでしょう」

もはや志賀は、遠く先に行ってしまったような感覚に襲われた。

ここまで差がつくともはや脱力するしかない。
あきらめに似た感情が芽生えてくる。

「た、太郎先輩?」

「あ、ああ、ごめん。みんな凄いなってね」

太郎は今公務員を受験をしている事を告げ、森と別れた。

 


NEXT → 第147話  最後のチャンス へ


BACK ← 第145話  中条の決断 へ


 

サブコンテンツ

このページの先頭へ