第144話  幸せになってほしい

 

7月中旬、太郎は模試の結果を受け取りに新横浜の予備校へ来ていた。
勿論、予備校に通うお金はないので、模試のみの利用だ。

やはり、ライバルの受験生達は太郎よりも若い連中ばかり。

太郎には最近、筆記試験をパスしても、面接で落とされるんじゃないかと言う不安が渦巻いていた。

それは、勉強がはかどれば、その分大きくなる。
大学入学までに1浪し、在学中にさらに1年留年。

そこから合格したとして3年フリーターをすることになるので、ストレートで受かるライバル達とは実に5年遅れだ。

そんな人物を面接で採用するのだろうか。

中条曰く、民間企業ではまず間違いなく落ちるであろう、と。
それは太郎自身よくわかっている。

しかし、公務員の採用試験は公平に審査するという建前があるので、そのわずかな隙に一縷の望みを掛けるしかないのだ。

 

筆記模試の結果は上々だった。

しかし、今回の模試は太郎が唯一受験する『東京都』用の模試である。
太郎は、東京都一本に絞った勉強をしているので、この結果はある種当然であった。

それゆえ、他の自治体を受けることは難しく、リスクは高い作戦と言える。
前回のように、本番でアクシデントが起きれば、終わりだ。

受験の年に27歳になる太郎には、もうチャンスは無い。

 

 

予備校の帰りに大型書店に立ち寄る。
ふと、スポーツコーナーを通り掛かり、目についた。

『特報神覇館』

それは、先月行われた第26回体重別全日本の特集号だった。

前回大会軽量級優勝者の太郎は、今大会が行われたことすら気にとめていなかった。
それは、空手への距離が広まったことを意味していた。

 

太郎は特報神覇館を手に取り、パラパラとページをめくり始めた。

「軽量級、優勝は……山城、か。前回は俺と決勝を戦ったよなあ。ついに優勝か。準優勝は、青山。3位と4位は……あんまり聞いたことない選手だな。新人がどんどん出てくるんだな」

 

次のページを開いて、太郎は驚いた。

「なな!  中量級の優勝は、宮路? あいつは軽量級だったハズ。まあ、身長も180cmくらいあったしな。無差別で戦う為に体重を上げたんだな。千葉支部の森君が、軽重量級準優勝か。重量級優勝は、総本山の高畑か。俺と戦った奴ばかりだな。みんな頑張ってるなあ」

カラーページには、試合の写真が載っている。

真剣勝負。

血と汗と涙の結晶。

そこには、太郎の青春もあった。
ページをめくりながら、太郎は自分の身体が震えているのを感じた。

これが武者震いというものだろうか。

空手家の血が沸き立っているのか。

しかし、太郎には、なんとなくある予感がしていた。

 

「おそらく、もう、空手の世界には戻らないんだろうなあ」

 

受験が終われば時間が出来る。
環境は整う。

しかし、相馬もいない。
ロベルトもいない状況で、空手の稽古が出来るだろうか。

おそらく無理だろう。

ひと昔、少し名前を轟かせた選手が、数年振りに復活。
良くて体重別でベスト8というところか。

それはそれで素晴らしいことなのだろうが・・・・・・

 

 

空手の事を思い出す時、あえて考えないようにしていることがある。

あずさの事だ。

あずさの事を考えることは、太郎にとってひどく辛いことなのだ。

心底惚れていた。

お互いに好きあっていた。

しかし、彼女の期待を裏切り、彼女のもとを去った。

「あずさ先輩……今頃どうしているのかなあ。相馬先輩もロベルトもいない道場で。寂しがってるかなあ。彼氏が出来てたりして。はああ。でも、それでもいい。その方がいい。彼女が幸せであることを願うぜ」

太郎は、本気であずさの幸せを願っていた。

普通に結婚をして、子どもを産んで。

幸せになってほしい・・・・・・

あずさ先輩・・・・・・

 

第26回体重別全日本大会結果

 


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