第141話  川の流れ

 

太郎が働く喫茶店は、朝の6時から、夕方5時までが営業時間だった。

終了時間が早いと太郎は思ったが、個人営業のため仕方がなかった。

また、マスター自身も映画鑑賞や音楽鑑賞の趣味があり、その時間も作りたいのだろう。

海辺の喫茶店のマスターなので、サーフィンが趣味かと思いきや、身体を動かすことにはあまり興味がないらしい。

 

店の閉め作業を終え、太郎は店の隅のソファーに腰掛ける。

閉店後は自由に使わせてもらうことになっていた。

 

店の隅には、古いアンティークの本棚があり、そこには郁美がゲームセンターで取ってきた人形が雑多に置かれていた。

この人形たちを郁美の部屋に移動させ、空いたスペースに太郎の参考書や勉強道具を置かせてもらうことにした。

見る人が見れば「なぜ、ここに、公務員受験用の書籍が?」と思われるだろうが、マスターはあまり気にしていない様子。

 

 

その日、店を閉めた後、太郎は、さっそく先月の試験では間に合わなかった科目にも着手し始めた。

「配点が低い経営学や会計学も、少しはやってみようかな」

太郎が、買ったばかりの参考書を開こうとした時。

「太郎先生!」

郁美だった。
学校から帰ってきたばかりで制服姿のままだ。

太郎の嫌いな格好では無い。
いや、むしろ好みと言える。

「郁美、今日中間テスト終わったんだ!  散歩しようよ!  海」

ふー、やれやれ、困った娘だ。
と、思いつつ、女子高生と浜辺を散歩することの嬉しさを隠せない太郎だった。

「い、いいですよ」

 

 

6月にもなると、夕方でもまだ明るい。
江の島付近の海沿い。

浜辺からは動いている江ノ電が見える。

江ノ電は意外に実用的な乗り物らしく、この時間には帰宅のサラリーマンやOLで結構混雑している。

 

しばらく歩くと、太郎が2年前にマスターに出会った場所に辿り着いた。

道路からの階段を降りたところに浜辺が広がっている。
コンクリートの壁にもたれかかっていた所でマスターに声を掛けられたのだった。

「ここで、郁美ちゃんのお父さんと出会ったんだ」

「ふーん。パパはどんな印象だった?」

「うーん……なんか、ダンディーで、カッコ良かったよ」

「えー? ウケる」

今年、郁美は高校3年生の受験生だ。
二人は受験の話などをしながら、江の島の方へ歩いて行く。

「ねえ、太郎先生は、どんな高校生だったの?」

郁美が手を後ろに組みながら太郎に質問する。

「うーん……普通」

「なにそれー! 有名な大学に入ったってことは、勉強ばっかししてたの?」

「いや、してないよ。学校もよくサボってたし。成績も悪かったよ」

「それでも大学に受かるもんなの?」

「まあ、浪人したからね。1年間も丸々勉強に使える時間があれば、ある程度はね……」

「何で、有名大学受けたの?」

郁美は話を遮って質問する。
せっかちな性格らしい。

「……モテると思ったから」

「やだー! 最低!」

郁美は両手で大袈裟に口を覆う。

「いやいや、男子のほとんどが、こんな理由で必死に勉強すんだよ」

「へー。太郎先生は、そんなことしなくてもモテそうだけどなあ」

「え? 本当? うひひ」

「嘘だよ」

「……」

高校生にもてあそばれる太郎。

 

「高校生の時に、女の子と遊ばなかったの?」

先ほどから郁美の質問が止む気配がない。

しかし、自ら話す内容を考える必要がないため、意外に気楽であった。

「遊ぶどころか、女子に話しかけることすら出来なかったよ」

「わー、かっこわるい」

「そーなんだよ。本当カッコ悪いよね」

太郎は、頭を掻きながら、学生時代を思い出していた。

異性とまともに話したのは……そう、あずさが初めてかもしれない。

「そんな太郎先生が、ついこの間まで、素敵な女性と同棲してたんだ?」

あずさでいっぱいだった太郎の脳内に葉月は入り込んできた。

「ちょっ、何で、そんなこと知ってるの?」

「パパから聞いた」

「えー? マスターには『郁美には話すな!  刺激が強すぎる! 』と言われてたんだけどなー」

「太郎先生凄いじゃん」

「いやー、僕が凄いんじゃないんだよ。こーゆーのは。必然って言うんだよ」

「なにそれ?」

「人生とは川の流れのようなもんなんだな」

「必然はどこ行ったの?」

「・・・・・・川に流されました」

「ふーん」

「人間は川の流れに流されるままに生きていくんだ」

「郁美も?」

「そう。郁美ちゃんは、小学校や中学校なんかは自分で決めたわけじゃないだろ?」

「でも、行きたい大学は自分で選んでるよ」

「そうだね。でも、大学に行くって選択は変わらないだろ。これが必然だ」

「あ、流されてないじゃん、必然」

「自然の力は凄いんだぜ。だから、郁美ちゃんは大学に入るという選択肢以外を選ぶことはかなり難しいだろう」

「なんかよくわかんないけど、わかる気がする」

「ただ、努力して、一生懸命泳げば、少しは方向を変えることが出来る。受験生の郁美ちゃんなら、勉強して良い大学に入るってのが、それにあたるね」

「なるほど。なかなか哲学的だね。じゃあ、太郎先生は一生懸命泳いだんだ?」

「そう。でも、泳ぎ方や、泳ぐ方向は教えてもらったんだけどね」

 

いつだったか、自分の人生を川の流れになぞらえたのは。

 

その日から、太郎は泳いだ。

 

何度も岩にぶつかり、よけいに辛い方向へ向かいそうになったこともあったが。

そして、今はどこへ向かって泳ぎ続けるのか。

 

 

浜辺では、いまどきの若い男性達が、サーフィンボードで波に乗っている。
太郎は違う人種を見ているような気持ちになる。

いかにも女性にもてそうだ。
しかし、隣を歩いている郁美はそんな男性達を見ることはなかった。

「郁美ちゃんは、好きな男子とかいないの?」

「芸能人とか?」

「いや、学校の」

「だって、女子高だもーん!」

「あっ、そうなんだ」

あのマスターが父親だ。
無理やり入学させたのかもしれない。

「つまんなーい!」

郁美は頬を膨らませている。

「どんなタイプが好きなの?」

「カッコ良くて、優しい人!」

「……そ、そうだよね」

「何か間違ってるかしら?」

郁美は太郎の顔を覗きこむ。

「単純な女だと、思ったでしょ?」

「そんなことないよ。……でもね、郁美ちゃん。最終的には優しい人を選んでね。大学入って、いろんな男性に出会って、見る目をつけるんだよ」

「何か偉そう!」

「女子にもてないと、理屈っぽくなるんだな、これが」

「やだー!」

女子高生と楽しく散歩する。
空手を始める前の自分には想像もつかなかった未来だろうな。

自分の泳ぎ方は間違っていなかったのかもしれない。

 

だがしかし。

就職してない未来も想像してなかったのだった。

 


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