第139話  さまよい

 

昼は、電車に揺られ、夜はインターネットカフェで過ごす毎日。
行く先は定まっていない。

 

葉月と別れてから早一ヶ月が経とうとしていた。

葉月のことをぼおっと思い出す時もあれば、それすら疲労と感じてしまうこともある。

 

無精髭をいじりながら、とぼとぼと街をさまよう。
携帯はとうに電池が切れていて、時計の役にも立たなくなっていた。

 

その日、上手い具合にインターネットカフェが見つからず、普段徘徊している駅前を離れた。

線路沿いを歩いていると、朝まで開いている銭湯が見つかった。
さらには、雑魚寝できるスペースもあるという。

「風呂は久しぶりだな」

 

太郎は、シャワーを浴び、大浴槽につかる。

 

銭湯は、あの懐かしい日々を思い出させる。

『ロベー! なめてんのかー! 』

『オーノー!』

『ちょっ、相馬先輩! 周りにもお客さんが! 』

大人だが、子供のような仲間達。
相馬に示された目標にただひたすら、楽しく突き進んでいた、あの頃。

相馬はどこにいるのだろうか。
ロベルトはアメリカで頑張っているのだろうか。

 

しかし、まだ1年も経っていない、あの輝いていた時代を思い出すことは、太郎にとって、非常に辛いことだった。

 

忘れたい思いでになりつつあった。

今の自分があまりにも情けなくて。

 

 

風呂を出た太郎は、着替えている自分の姿が映っている鏡を見て愕然とした。

筋肉の厚みや隆起は無い。
割れた腹筋の代わりに、だらしなく出ている腹。

肌は浅黒く、目は光を失っている。

「こ、これが俺……」

そんな自分の姿を見ているその表情は、醜い笑顔だった。

 

なんとなく・・・・・・

 

なんとなく、終わったのかもしれない。

 

 

別に、自分は拘束されているわけではない。

 

誰かに苦しめられているわけではない。

 

 

でも、なぜだか狭い箱の中に入れられているような感覚。

 

息苦しい。

 

 

別に深く濁った水の中に沈められているわけでもない。

 

 

目の前に立ちはだかるモノもない。

 

でも、視界がぼやけているような感覚。

 

見えない何かが自分を縛りつけているのか。

 

太郎は、両腕を前に伸ばした。

 

 

「何もないだろうが!」

 

 

自分の声で我に返った。

 

着替えをしていた男性たちは、一斉に太郎に視線を合わせた。

 

太郎は、下を向き嗚咽を上げる。

男性たちは、何も見なかったかのように、顔をそらした。

 

太郎は、特に焦ることもなく、ゆっくりと着替え、更衣室を出た。

 

 

大広間に向かい、雑魚寝用の畳スペースの端に腰を下ろす。

年齢様々な、10人程の男性が本を読んだり、携帯をいじったりし、夜を過ごしていた。

 

しかし、貸し出し用の枕がなかったため、太郎は自分のドラムバッグを枕替わりにして横になった。

 

 

自由は恐怖だ。

 

 

親からがみがみ言われながら、いやいや学校に行っていた時代。

 

大人になれば、さぞかし自由な生活なんだろうと。

そんな夢を見ていた。

 

そして、自分に子供ができたら、自由に育てるんだ。

そう思っていた。

 

 

でも、今は。

 

全てが自由な今は。

 

身体すら見えない何かに取りつかれているような。

呼吸すらまともにできないような。

 

これが自由?

 

自由は恐怖だったんだ。

 

 

なんとなく・・・・・・

なんとなく、終わったのかもしれない。

 

 

太郎は大きく深呼吸をする。

吐き気がする。

ああもう。

 

 

枕にしているバッグは、何か固いものが頭に当たり、寝心地が悪い。

ああもう、何だってんだよ。

バッグまで俺を苦しめるのか。

 

 

太郎は、勢いよく起き上がり、バッグをひっつかみ、強引にチャック開けた。

恐らく、周りにいる人たちは自分を見ているだろう。

でも、そんなことすら、気にならなくなっていた。

 

 

太郎は、内ポケットに手を入れた。

すると、小さく折りたたまれた厚紙が出てきた。

「ん? なんだこりゃ」

それは、菓子の空き箱の一部のようだった

 

 

太郎は、その厚紙を広げる。

すると、そこには青色の文字が書かれていた。

多少かすれてはいるが、はっきりと読める。

 

『世界大会までの道』

 

それは相馬の字だった。

 

道場に入門したての頃、相馬が思い描いた未来予想図。

初心者大会。

東京都大会。

体重別全日本大会。

全日本大会。

そして、世界大会。

 

「そ、相馬先輩」

太郎の頬を涙がつたう。

 

『俺様は、去年行われた第36回全日本大会で第3位だ!』

あの日の相馬の声が蘇る。

 

「相馬先輩。僕は、あの日の先輩のところまでたどり着いていたんですね。途方もなく遠い存在だった先輩に」

 

 

『……まさか、その凄い大会に……僕が?』

『ああ、そうだよ。書いてあんだろ、世界大会への道って』

 

太郎は、大きくうなづいた。

「あの日、先輩やロベルトの見ていた夢はかなえられそうにありません」

太郎は涙をぬぐう。

「でも、今自分がやるべきことをやってみます」

太郎は、持っていた紙を丁寧に折りたたんで、バッグに戻した。

 

 

 

太郎は、荷物の中から、今年受験予定だった『東京都』の願書を取り出し、パラパラとページをめくる。

その手は緊張をまとっていた。

「頼む……頼む……」

太郎は、探していたページに目を止める。
深呼吸をして指で項目をなぞる。

「特に気にしていなかった……こんな基本的なことを……」

そして、太郎は声を上げた。
数人が太郎の方へ顔を向け、また各々の時間に戻って行った。

「やった……まだやれる……」

それは、受験資格の年齢制限の欄だった。

太郎は今年26歳の年。
受験資格は27歳の年まで。

来年、最後のチャンスがあったのだ。

「後、一回だけチャンスがある」

太郎は、ドラムバックの外側についているポケットに手をいれた。
そして、葉月からもらったお守りを出した。

「葉月さん。僕に力を下さい。来年……もう一度だけ頑張ります」

 


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