第137話  合格祈願

 

葉月の祖父はリビングにあるソファーに腰掛ける。
葉月は祖父にお茶を淹れる。

「いや、突然来てすまなかったな」

「ううん、別に大丈夫だよ」

「フランスだか、どかだかの修行のお金は貯まったかね?」

祖父は、葉月がパティシエになるのに必要な資金を貯める為にOLをしていることを知っていた。
祖父は潤沢に資産を持っていたので、渡航の資金提供くらいはすると言っていた。
しかし、自分で努力して稼がなくては意味はないと言う葉月に、この要請を拒否され続けていた。

実は、祖父は実は葉月は海外などには行く気は無く、ただ、実家から離れ東京に住みたいから嘘を言っていると思っていた。

そのことを問いただす為、突然新潟から上京してきたのだった。

「葉月よ、以前から言っておるが、海外での必要経費くらいワシが出してやるぞ? 何故、そんなに頑なに拒否するのだ」

「前にも言ったように、自分で努力して貯めたお金じゃないと意味は無いと思うの。私は今まで恵まれ過ぎていた。欲しいものは何でもおじいちゃんが買ってくれたし、今、こんな良いところにも住まわせてもらってる。でも、環境に恵まれてなくても努力して大成した人もたくさんいる。私は、自分を誇れるように生きていきたいの」

「そうか……」

祖父はお茶をすする。

「そう言えば、外で会った時に手に持っていたのは何だ? 近くの神社の方から歩いて来たようだったが」

「そ、それは」

「お守りか何かか? 見せてみなさい」

「……」

葉月はしぶしぶポケットから取り出した。
それは、太郎に渡すつもりでいたお守りだった。

「お守りか……しかし『合格祈願』とは……お前には関係ないものだな?」

「……はい」

「男か?」

「……」

「やはりな。お前は、ただ東京で遊び暮らしたいだけだったのだな!」

「違う!  おじいちゃん、私は本気でお金を貯めているの!」

「嘘をつけ!  そんな金、ワシがいつでも払ってやると言っているだろうが!  自分の貯めた金で修業しないと意味は無いだと!  そんなことを信じれるものか!」

 

「葉月さんの言うとおりです!  彼女は、自分の力で人生を切り開こうとしている! !」

 

突然の声に二人がベランダを見ると、そこには太郎が立っていた。

「なっ、なんだ貴様は?」

「タロちん! まだ試験に行ってなかったの?」

「試験? そうか、葉月をたぶらかしているのは、貴様だったか!」

「タロちん! お願い、試験に行って! あんなに頑張ってきたのに! 私は大丈夫、お願い、夢をあきらめないで!」

ベランダから登場した時には既に、腹は決まっていた。
将来を棒に振ったのだ。

「お前は、何者だ!」

「み、水河太郎、25歳、む……無職!」

「む、無職」

祖父は目を丸くして、太郎を見つめる。

「……では、試験とは?」

「今日が、試験日なのです。こ、公務員の。でも、間に合いそうにありません」

「ふん、では、こんなことでチャンスを逃した訳か」

「……そのようです。でも後悔はしていません」

「後悔なんてものは、時間を掛けて大きくなるものだ。それに、人生にはそうたびたび大きなチャンスは巡っては来ない」

「……」

祖父は太郎と葉月の表情を見合わせる。

「先ほど、葉月は自分の人生を切り開こうとしていると言っていたが」

「その通りです。葉月さんは、本気でパティシエになろうとしています。そのために、自分の力でお金を貯めているのです」

「本気なのか、葉月」

「うん……」

葉月は頷く。

「それに、葉月さんはもう大人です。あまり干渉しない方がいいのではないですか」

「太郎君よ、君はワシを非難するのかね?」

「非難なんて……」

「君はワシを非難出来るような男なのか? 25歳で無職。女のマンションに転がり込むような奴が」

「う……」

「無いのだ。君にはワシを非難する権利が」

「……」

「……ひとつ君に伺おう。君は葉月を幸せにする自信があるのか?」

「う……それは……」

「タロちん……」

「太郎君よ。ワシはな、何も君が資産も将来も無い男だと思って聞いているんじゃない。ワシは金は大事だとは思うが、全てではないとも思う。金持ちの戯言に思われるかも知れんがな」

祖父は太郎を睨み付ける。

「しかし、先ほどから聞いていると、君は葉月の事を、何か……第三者的な立場から見ているような気がしてならん」

「そんな……」

「君が葉月を幸せにすると啖呵を切ってもいいのだぞ。しかし、君はそれを言えなかった。つまり、覚悟がないのだ!」

「あ……う……」

「そして、葉月よ。お前も目的達成に邪魔にならぬような、深入りしそうにない……この男を都合の良い男と思っているんじゃないのか?」

「違う! 違う……そんな。私は、タロちんの事……」

葉月は泣き崩れた。

「太郎君とやら。ワシが酒蔵を経営していることは知っているね」

「……はい。葉月さんから伺いました」

「自営とは一国一城の主だ。全ての責任が自分に降ってくる。当然、人を見る目が養われてくる。ほんの少しの時間ではあるが、君がどんな男なのかも、わかったつもりだ」

「……」

「先ほどから厳しいことを言ってすまなかったな。君は真面目だ。それに優しい……しかし、残念ながら葉月と一緒になれる男ではないようだ」

太郎は返す言葉が見つからない。

「葉月が東京に留まることは認めよう。だが、君はここを出て行きなさい。君と葉月は一緒にいても上手くいかないだろう」

「……わかりました」

「……タロちん」

「この部屋には、僕の荷物はもうありません。このまま、出て行きます」

太郎は、ベランダから祖父と葉月の前を横切り、玄関に向かい、去って行った。

「……う、う」

「予想外に、さっぱり出て行ったじゃないか。あの男は、お前に未練は無いようだな」

 

 

葉月の部屋を出て行った後、太郎は隣の正宗の部屋に入った。
既にベランダに散乱していた荷物はまとめられていた。

「ベランダから一部始終聞かせてもらいました。いいんすか、太郎先輩」

「ああ」

「しかし、凄いじーさんでしたね。いいんですか、葉月さんは」

「……俺は、いいかげんな男なんだな。あのお祖父さんに言われて、ハッとしたよ。都合の良い女性と、都合良く同棲していただけだった……そう思われてもしかたないな」

「太郎先輩、しばらく俺んちにいてもいいっすよ。広いんで好きに使って下さいよ」

「いや、葉月さんと別れたんだ。隣に住んでるなんて……出来ないよ。でも、悪いが、夜までいさせてくれ。最後に葉月さんと話がしたい」

「もちろんす」

「悪い、疲れたからちょっと寝るわ。このソファー貸して……」

そう言うと太郎はすぐに寝てしまった。

「疲れてたみたいだな。えっと、毛布毛布……」

 


NEXT → 第138話  五月の夜風 へ


BACK ← 第136話  試験当日 へ


 

サブコンテンツ

このページの先頭へ