第127話  眠れぬ夜

 

板橋道場を飛び出したものの、太郎に行くあてはなかった。
実家からは勘当されていたし、頼れる友人もいなかった。

気が付くと、新宿駅に着いていた。

夜の明かりや騒々しさは迷える者を引き寄せる何かがあるのだろうか。
太郎も同じように吸い寄せられたのか。

着いた時間には既に終電が発車した後だった。
まあ、帰る場所のない太郎にとってはどうでもよいことではあったが。

 

太郎は、新宿駅周辺をあてもなく彷徨う。
今日は、一日歩き通しだったので、さすがに疲れてきてしまっていた。

「お金もあまりないし……ここで寝るしかないか」

太郎は、ロータリー近くの階段に腰掛け、少しの着替えの入ったバックを枕に横になった。

「人生ってわからんもんだな。1週間前は、相馬先輩やロベルトと楽しく銭湯に行ってたのにな。今は、11月の夜風に吹かれながら駅の階段で寝ることになるとは」

 

しかし、太郎にはそれすらも許されないことらしかった。
突然、太郎に話しかける者があった。

「すいません」

「へ?」

太郎に話しかけたのは、駅の警備員らしい中年男性だった。

「申し訳ないんですが、ここでは寝てもらえないんですよ。階段なもんで」

「あ……そうなんですか? 実は終電逃しちゃって、困ってるんです」

「そうですよね、わかります。こんなところで寝るなんて、よほどのことだ。でも、規則でして。のいてもらわないといけないんですわ」

警備員はさも慣れているように言った。
そして、太郎を起こし、少し離れたところを指差す。

「向こうの方に、人がたくさん寝ているところがあるでしょう。あそこでなら寝ていただいても結構ですので。いや本当申し訳ないんですが」

見ると、暗がりにたくさんの人が寝ていた。

「あ……そうなんですね。ありがとうございます」

「まあ、新宿は夜遅くまで営業している店もたくさんありますし、漫画喫茶などもあるんで……そちらをお勧めしますよ」

丁寧な対応をしてくれた警備員にお礼を言う。

 

指定の場所に行ってみると、そこには終電を逃したサラリーマンや学生らしき人はいなかった。

警備員の示した寝てもよいエリアには、どうも入れそうにない。
と、いうのも、毎夜その場所を根城にしていると思われる方ばかりであったから。

空いているスペースもない。
なるほど、どこか開いている店を探した方がよさそうだ。

太郎は、東口の方へ向かう。

 

幸い朝方までやっているディスカウントショップがあったので、そこで時間をつぶすことにした。
しかし、朝になってもいくあてはないことに変わりはない。

衣食住とは良く言ったものだ。
この基本的なカテゴリーのうち、一つ失われただけで、こんなにも不安に襲われるとは。

「ああ、もう両親に土下座するしかないか……でも、住むところがなくなって帰って来たなんていったら、悲しむだろうなあ」

太郎は25歳。
同じ年の人は社会でバリバリ働いているのだろう。

空しさ、虚無感が太郎を襲う。

「学生の頃は、卒業して会社に入り、そのまま定年を迎えるまで働き続けるのって、何だか馬鹿らしいと思っていた。しかし、やりたいことなんて、社会人になってから考えても遅くなかったのかもしれないな。そもそも俺は、社会人のなることすら出来なかった訳だ。落ちこぼれだな」

太郎の頬に涙が伝う。
それは、あまりにも情けない涙だった。

「ほらみろ。空手が無くなった今、俺に何が残ってる? 何も無い。何も……うっうっうっ」

太郎は肩を揺らして静かに泣いた。

 

深夜とはいえ、昼間とそぐわぬ照明が光り輝いている。
そして、購買意欲をかきたてる大音量のオリジナルソング。

店の利用者の数だって、少ないわけではない。

カップル客は、ちらちらと太郎を見る。
男三人で店内を歩いている客は「お前、助けてやれよ」などと笑っている。

だが、今の太郎は、この状況が恥ずかしいとも思っていなかった。
ただ、しくしくと泣き続ける。

 

「あれー、誰が泣いているのかと思ったら……太郎さんじゃん」
 
太郎が、その声に振り向くと、一人の女性が立っていた。
髪はセミロングを軽く巻いて、目はぱっちりとしている。

はて、どこかで会ったような。

「ん、覚えてないの? やだなー、ラブホに連れ込んどいて、忘れるなんて。しょっちゅうあんな事してるのかな」

「あ!」

葉月だった。

1年半前、第24回体重別全日本で辻に負け、世界大会への切符を逃した時、一人公園で泣いていた時に出会った。
そして、一緒にいた男性を蹴り倒し、ホテルに連れ込んだ。

考えれば、随分無茶苦茶をしたものだ。

良く見ると、初めて出会った時よりもだいぶ落ち着いた感じがする。

髪も以前は茶色だったが、今は黒い。
化粧も控えめだ。

「ひ、久しぶりです」

「太郎さん、あなたはいつも泣いてるんだねー」

「こんな時間で、ひ、一人ですか?」

「友達と飲んでたんだけど、終電無くなっちゃって」

「え? じゃあ、この後どうするんですか?」

「もー、またホテルに誘おうと思ってるの? 本当、エッチだね。タクシーで帰るよ。その前にちょっと買い物しようと思ってさ。ところで、タロちんはどうしたの?」

「タ、タロちん!」

 

太郎は、これまでのいきさつを簡単に話した。
情けない状態にあるが、特に隠すことはしなかった。

「へえー、大変だね。じゃあ……うち来る?」

「な、なんと!」

「きゃは、なにその驚き方。いいよ、別に。それにさ……既に一緒に寝てんじゃん!」

「う!」

葉月には警戒心というものが無いのか。

 

太郎は、タクシーで葉月が一人暮らしをしているマンションまで連れて行かれた。

「こ、ここ?」

「うん、そだよ」

着いたのは、渋谷区内のタワーマンションだった。
タクシーから降り、上を見上げると首が痛くなりそうだ。

「ちょ、超高そうなマンションだけど……葉月さんはどんなお仕事を?」

「アタシは今、丸の内でOLしてまーす」

丸の内のOL。
なんだかハイクオリティーなイメージ。

「そ、そんなに儲かる仕事なの?」

「ううん、一般職でやってるから、そんなにお金もらってないよ」

「じゃ、じゃあ」

「アタシはお金出してないの。うちはおじいちゃんがお金持ちなの」

「……あ、なるほど」

 

オートロックの入り口。
大きなエントランス。
きれいなエレベーター。

上がれば、吹き抜けのある通路。

 

葉月の部屋は一人で住むには広い2LDKほど。
太郎が相馬の部屋に転がり込む前に住んでいたのは6畳1Kの古いマンションだった。

「いったいここの家賃はいくらなんだ? そもそも賃貸じゃないのかも」

下種い推測をするが、太郎には想像もつかない。

それにしても、またこの女性と夜を共にすることになるとは、人生何が起こるかわからない。

 

お互いに風呂に入り、寝る時間となった。
太郎は気を使い、ソファーで寝ることを提案する。

「えーっ、一緒に寝ようよ。寒いよ」

「ぎょぎょ!」

なんてうらやましい状態に自分はあるのか。
あずさの顔がちらついたが、あまり迷うことなく太郎は葉月のベッドに入った。

疲れていたのだ。
ソファーよりもやわらかいベッドで寝たいという強い思いに駆られた。

「おやすみいー」

葉月は疲れていたのか、すぐに寝てしまった。

対する太郎は疲れてていたものの、なかなか眠ることができなかった。

「ああー、俺ってなんて優柔不断なんだろ。あずさ先輩……ごめんなさい」

自分たちは別れてしまったのだろうか。
そもそも付き合ってもいないが。

でも、もう会うこともないんだろうな、という予感がしていた。
今頃、あずさは何をしているのか。

相馬は?
ロベルトは?

考え事がしていると余計に寝れなくなってきた。

 

太郎は、ベランダに出た。
机と椅子が置いてある、広いスペースだ。
そこから見える夜景は、大都市の光の海だった。

「うわあー、すごいー!  なんてきれいなんだろ……」

太郎が、夜景に魅入っていると、タバコに匂いが鼻をかすめた。
隣の部屋のベランダでタバコを吸っている男がいるようだ。

『ゴホゴホゴッホ・・・自画像』

タバコを吸っている男性が咳き込んでいるようだ。

ん?
しかし。
どこかで聞いたことのある声。

 

太郎は、そっと隣のベランダを覗き込んでみた。

「……ん?……んえ!」

隣の部屋の男は驚いたような声を上げた。

「た、太郎先輩!」

「あれ? 正宗?」

何と、そこには共に相馬道場で汗を流したスモークラバー正宗がいた。

「おー!  正宗ー!  久しぶりー!」

「い、いや、あれ? ひ、久しぶりですけど……確かお隣さんは、若い女性だったような?」

「ははは、いろいろあってね」

 


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