第126話  別れ

 

全日本大会が終わり、1週間。
相馬は姿を現さなかった。

相馬が姿を消した当日、太郎は板橋道場の三階のドアを開ける時、全く期待が無い訳では無かった。

暗い部屋に明りをつけると、真ん中で頭から布団を被ってつっぷしている。
声を掛けると「うるせえなあ」なんて言いながら、ゆっくると起き上がる。

そんな期待が無い訳では無かった。

しかしあの時、ドアを開けると誰もいなかった。
勿論、置き手紙も無い。

ロベルトは唇をかみしめてうつむいていた。
やはり相馬はいなくなってしまったのだ。

 

板橋道場は水を打ったような静けさだ。

太郎とロベルトは相馬のいない板橋道場で後輩を指導しつつ、気の抜けたような毎日を過ごしていた。
道場には、優勝、準優勝、第3位の巨大なトロフィーが空しく立ち並んでいる。

 

夜、いつものように銭湯に通う。
だが今夜も相馬はいない。

屋外の檜風呂に二人で浸かる。
夜風が、湯気をくるらせる。

ロベルトが口を開く。

「僕……板橋道場から離れようと思うんダ。というか、日本を出ようと……」

「え?」

太郎は突然のロベルトの申し出に耳を疑った。

「どうしたんだよ、急に」

「……相馬先輩が失踪したのは、僕の所為ダロ。ここにいられないヨ」

「お前の所為じゃないよ」

太郎は、湯を手にとると、勢いよく顔をこすった。

「俺は、俺は相馬先輩にちょっと怒りを覚えるな。だっておかしいじゃないか。どうして消える必要があるんだよ。外国人に全日本の王座を奪われたからか? 弟子に負けたからか? そんな……相馬先輩がそんなに弱い人だったなんて」

「止めようヨ。相馬先輩の事を悪く言うべきじゃないヨ」

「……そうだな」

二人とも足を伸ばし、月を見上げる。
今夜は満月だ。

「きれいな月だな」

「うん。太郎が相馬先輩と会ったときも、こんなきれいな月だったんでショ?」

「ああ。まぶしいくらいにね」

 

しばらく沈黙が続く。

「どうして日本を出るんだよ」

「ここで空手を続けるのは、辛いからネ。太郎も空手から気持ちが離れてるダロ?」

「う……」

ロベルトの言葉に太郎は言葉に詰まった。

「わかるんだよ。何年一緒にいたと思ってるんダヨ」

ロベルトの言う通りだった。
太郎の中にはどうしても払拭出来ない思いがあった。

それは自分の将来についてのことだ。

空手道場の息子である相馬やロベルトと違い、太郎はこれから社会人になる必要がある。
その気持ちを空手に集中することで押さえつけていたが、相馬という大きな存在がいなくなったことで、鮮明な現実として襲いかかっていた。

「これってさ……これが、潮時っていうのかな」

「え、太郎は空手辞めるノ?」

「俺、不器用だから、器用にいろんな事をこなせないんだよ、きっと。ロべは続けるんだろ、ブラジルで」

「いや、僕はブラジルには帰らないよ。家族の近くにいたら甘えそうだし。実は、アメリカのマイケルから来ないかって言われてるんだ」

「マ、マイケル。あいつか……」

太郎は昨年行われた世界大会で、相馬と激闘を繰り広げたマイケルを思い出した。

「うん。僕はね、相馬先輩に教わった空手がどれだけ素晴らしいものなのかを証明してやるんだ。それが、相馬先輩への恩返しになると思うんだ」

「……3年後の世界大会」

「うん」

ロベルトは既に腹を決めているようだった。

「太郎も勿論、出るだろ。だって……」

「……うん」

ロベルトが言わんとしていることはわかっていた。

 

 

数日後、ロベルトは日本を発つことになった。
道場で盛大にお別れ会を催した。

師範の源五郎、美雪、岩村らみな別れを惜しんだ。

 

そして、次の日。
空港へは太郎とあずさが同行した。

別れの時が近づく。

三年半の間、ほぼ毎日寝食を共にし、切磋琢磨し鎬を削って来た。
そんな盟友とこのような形で離れることになるとは。

「ロベさん、元気でね」

「うん、あずさ先輩もネ」

「ロベ、頑張れよ」

「……太郎、世界大会で待ってるカラ」

「……ああ」

「約束ダヨ」

「……」

太郎は返事が出来なかった。
それでもロベルトは笑顔で手を振って行った。

 

 

太郎とあずさは、道場までの夜道を歩く。

川沿いを進む。
ここはかつて太郎があずさを背負って歩いた道。

「ねえ、タロちゃん。ここ覚えてる?」

「も、勿論です。素敵な思い出です」

「……じゃあ、去年の約束は、覚えてる?」

「う……」

あずさは歩を止め太郎の顔をじっと見つめる。

あずさは感づいているのだ。
太郎が空手から離れようとしていることに。

「お、覚えています。で、でも……」

「でも?」

「や、やらなくちゃいけないことも……わかってきたんです。僕は、ずっと子どもでした。もう25歳なのに子どもなんです。好きなことだけやって、そんなんじゃ、いけない。そういうところにきている気がするんです」

「そっか・・・・・・そうだよね」

 

―――世界一に……世界一になったら……私は、タロちゃんのモノになったげる!
―――四年後の世界大会で、僕は、世界一になってみせます!

 

「あ、あの約束を守らないと、ぼ、僕はあずさ先輩と一緒になれないんですか?」

「え・・・・・・」

「あずさ先輩は、僕の将来がどうでもいいんですか? い、一生仕事が無くても?」

「そ、そんなこと・・・・・・」

「だって、そうじゃないですか。世界一になったらって・・・・・・世界一になるために、どれほどな稽古を積まなければならないと思ってるんですか! そんなもの、空手一筋で、青春を、人生を、その全てをぶつけたって・・・・・・どっちにしたって、僕みたいに背の低い男が世界一になんてなれやしませんよ。」

「私は、ただ、空手を一生懸命頑張っている、タロちゃんの・・・・・・」

「いや、あずさ先輩は社会がわかってないんです!  今、就職してなければ社会人にはなれないんです!  そんなんじゃ、結婚も出来ないし、子どもだって育てられない!」

ああ、自分は何を言っているんだろう。

そんなことあずさに言うことか?

全部、自分で決めてきたことなのに。

「わ、私はタロちゃんが、どんな状況だって、ずっとついていくよ」

「甘いんです!  全然わかってない!  あずさ先輩は、僕が世界大会を目指して、それで、一体……」

何を、何で、何で、俺がこんな、偉そうなことを?

俺は、一体……

「違う、違うのに!  私は、私は、ただ、一生懸命なタロちゃんの・・・・・・いや、ただタロちゃんと……一緒にいたいだけだったのに……」

あずさは泣きながら走り去って行った。

 

終わった。

 

太郎は茫然と立ち尽くす。

 

最低だ。

 

全部自分の責任なのに。

 

自分で歩いてきた道なのに。

 

自分を好きになってくれた人を傷つけ、そして失った。

 

尊敬する先輩、信頼出来る親友、そして最愛の女性……全てを失ってしまった。

 

次の日、源五郎や岩村が引きとめるのも聞かず、太郎も道場を去った。

 

 

【 もがけ青春 第一部 完 】

 

 

 


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