「今日こそ、行ってみようかな?」

四月。
その日、東京都内は桜が満開で、暖かな日差しが差し込んでいた。

太郎が深夜の森で相馬に出会ってから二ヶ月が経つ。

 

あの日手渡されたチラシに載っていた空手道場の住所は、大学から2、30分のところにあった。
骨折していた右手も一ヶ月前には完治しており、行こうと思えばいつでも行けた。

しかし、太郎の人見知り、協調性のなさがそれを遮った。
行くキッカケが見つからなかった。

そこできりの良い新学年の始まりに行くことにした。

夕方頃、大学の帰り、意を決して道場へ向かうことに。

 

池袋から私鉄に乗り換え、最寄駅を降り、しばらく歩くとそれはあった。

三階建ての面白い建物である。
各階ともに大きさが違い、二階バルコニーから三階部分にかけては螺旋階段が見える。

 

入り口に近づくと『神覇館空手 板橋・相馬道場』の看板が。

「相馬道場? あの人の道場なのか?」

恐る恐るドアに手を掛ける。
引いてみると、鍵が掛かっていないらしく開けることが出来た。

中を覗いてみると、畳のようなものが敷き詰められている。
電気はついていないのでうっすら暗い。

奥のほうには、神棚とその横には、開祖者らしき老人の写真が飾ってある。

「うわあ、案外広いんだなー。ちょっと、入ってみようかな。俺ってなかなか行動派だよな」

太郎は靴を脱ぎ、そっと道場内へ入ってみた。
床は井草の畳ではなく、ゴム製らしきものだった。

端にサンドバックがぶら下がっている。

「わ、サンドバックだ。本物は初めてみるなあ。でかいなー」

軽く叩いてみる。
天井に付いている鎖がギシギシを音を立てる。

拳も痛くない。
どうやら完全に治っているようだ。

と、サンドバックの近くの壁に貼り付けてあるポスターが太郎の目に止まった。

『第21回体重別全日本大会中量級王者 相馬清彦』

そう書かれ紹介されている人物は、太郎が、二ヶ月前の深夜の森で出会った相馬であった。

「あの人、空手全日本のチャンピオンだったんだ!凄ごいな。でも暗くてよく分からなかったけど……凄い金髪」

優勝者に贈られるものなのだろうか。
金色に輝くトロフィーを掲げ、不敵な笑みは自信に充ち溢れている。

握った拳は、あの日見たように、親指と人差し指の付け根が盛り上がっている。

 

太郎がポスターに見入っていると、後ろから女性の声がした。

「お兄ちゃんのお知り合いですか?」

「わ!」

太郎が驚いて振り向くと、事務室らしい部屋の半分開いたドアから、黒のセミロングの女性が身体をのぞかせていた。

身長は160cmくらい。
クリーム色でひらひらのついたワンピース。
大きな瞳を細めている。

こちらに警戒している様子。

そりゃそうだ。
見知らぬ男が突然現れたのだから。
不法侵入で警察を呼ばれてもおかしくない状態だ。

「あ、あの、私は水河太郎と申します。えーっと、相馬さんのご紹介でこちらの道場に来させていただきました」

太郎は直立不動で応える。

「お兄ちゃんの紹介? ふーん、珍しい」

お兄ちゃん。
あの相馬の妹なのだろうか。
傍若無人なあの男の妹にしては、おとなしそうな女性だ。

「私は相馬あずさって言います」 

そう言って、笑顔を見せるあずさ。
太郎は言葉に詰まった。
とんと若い女性と話すことが無かったせいで、こんな挨拶さえ、なんと返せば良いかわからない。

緊張がほとばしる。
自分が嫌になる。
太郎は背中に冷や汗を感じた。

そんな太郎の危機的状態など知る由も無く、あずさは続けた。

「今日の夜の稽古は午後七時からなんです。あと……二時間くらいですね。どうします? それまでの時間、私が道場の説明とかしましょうか?」

二時間もの間、女性と二人きりで同じ空間にいることは、太郎には出来ない相談だった。

「いえ、あの、出直してきます! 失礼します。午後七時からですな、ね、わかりましたー」

酷い噛みようで太郎は道場を飛び出した。
あっけにとられるあずさ。

「……変な人」

 

 

道場からしばらく歩くと小さい橋があった。
下に川が流れている。

太郎はその川辺のベンチに腰を下ろした。
数十メートルしか走っていないが、息は絶え絶え、汗だくだ。

そして激しい自己嫌悪に苛まれる。

「あーーー! 何なんだ、俺は! あんな可愛い女性が道場の説明をしてくれるって言ってくれてるのに!」

太郎は他人と話すことが苦手だった。
特に女性と話すことは。

でも当然、女性が嫌いな訳ではない。
それが太郎の気持ちをさらに沈めた。

太郎は立ち上がり、小川を覗き込み、大きなため息をついた。

川の表面に枯葉がゆっくりと流れている。

「はあー。このままじゃ俺はあの枯葉のような人生を送ることになる。流れに逆らわず、ゆらゆらと」

太郎は、顔を横に振る。

「いや、俺は人間だ。いかに強い流れであろうと、ある程度は泳げるハズ。さえない運命に逆らって、違う岸にたどり着くことだってできるさ。行こうぞ、二時間後に!」

太郎は、近くの喫茶店で時間を潰すことにした。

 

 

太郎は、近くに喫茶店の看板を見つけた。

急な階段を上がり、店に入ると、入口近くの席が空いていたので、そこに座った。
おどおどした性格のため、店内を見渡すということができないのだった。

太郎の好きな飲み物は『アイスコーヒー』。
ガムシロップとコーヒーミルクをたっぷりと入れる。

ホットコーヒーはあまり飲まない。

 

アイスコーヒーを口にすると、大きくため息をついた。
さて、先ほどの女性にどうやってフォローの言葉を言うか。

「先ほどは失礼しました。あなたがステキ過ぎて、思わず姿を消してしまいました。あなたのせいですぞ! ……なんつって、はああーー、気持ち悪い俺」

近くに座っている二人組の若い女性客は、この独り言を言う太郎を見て、くすくすと笑ってる。

 

 

 

とりとめもないことを考えているうちに時間は午後七時前になった。
太郎は店を出て、意を決し道場に向かう。

すでに辺りは暗くなっていた。
さきほど訪れた道場には明かりがついている。

が、道場から30mほどのところで足が止まった。

「どうしよ、入れない、入れないよお。情けない俺、だめだ。どうやって入ろうかな、はああ」

うろうろと道場の回りを行ったり来たり。

 

 

そのうち仕事帰りのサラリーマンらしき男性や、学生服を着た高校生。
OL風な女性など様々なタイプの人間が道場に入っていく。

その度に「オス」という掛け声が二度聞こえる。
空手道場に入る時の決まりなのだろうか。

 

 

いつしか午後七時が過ぎ、稽古が始まったようだ。
空手の稽古の掛け声なのか気合の入った号令が聞こえてきた。

『エイ、セイ、ヤー!』

道場内から伝わってくる空手の熱い気合の声が、太郎をさらに道場から遠ざけた。

「こうなってはますます入れないぞ。はああ。稽古が終わるのを待つしかないか。しかし、相馬清彦さんは来てるのかなあ。あの人がいないと、俺は誰を頼りにすればいいのよ」

 

 

 

太郎は、もじもじと道場の周りを一時間程徘徊していた。
先ほどからため息ばかり。
もはや、道場のドアを開けるきっかけが見つからない。

駅の方からは、ぱらぱらと人が歩いて来る。

 

と、その中でもひときわ大きな男が太郎の目に入った。
どうやら外国人のようだ。

電燈に照らされたその髪は銀だか茶色だかよくわからないが、ふわっと盛り上がったオールバック。
黒いジャージの上下姿で、何か大きな荷物を背負っているように見える。

「大きいなあ。やっぱ外国人は大きいな」

ぼおっと、その外国人を見ていたが、どうやらまっすぐ太郎の方へ向かってくるようだった。

「え? こっちに来る。やばい、話しかけられたらどうしよう。オーマイゴット!」

 

しかしその外国人は太郎には目もくれず、道場の前で止まって何やら確認している。

「The address is correct. Soma …… ma gym.」

相馬。

その外国人は確かに「相馬」と発した。
自分と同じように相馬に会いにきたのだろうか。

次の瞬間、その外国人は太郎に話しかけてきた。

「May I question for a moment ? Is here a Soma gym ?」

突然の英語での質問にパニックになった。
だが、どうやら、ここが相馬道場か聞いているようだ。

太郎はその外国人を見上げ、口を開いた。

「イ、イエス、ヒア、ソウマドウジョウ」

「Ah it was good . Do you also have business here ?」

大学受験の頃なら分かった気がする。
そんなに難しいことは聞いていないハズ。

しかし、しばらく勉学から離れていた太郎には、質問の意味が分からなかった。
が、太郎は引きつった笑顔で二三度頷いて見せた。

「Then , let’s enter together .」

と、その外国人は嬉しそうに道場のドアを開け、太郎を中に押し込んだ。

「うわっ、ノーー!」

 


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