第108話  夢と現実の狭間で

 

「私達先に帰るよー」

美雪とあずさは帰り仕度を始めた。
アルコールからソフトドリンクに変えていたあずさは、酔いがさめているようだ。

「タロちゃんたち、大丈夫なのかなあ」

 

「おー!  じゃあ俺達も出るか……飲みは終わらないけどなあ」

相馬らも店を出た。

 

「じゃあ、あずさと帰るから。太郎君、ロベルト君!  キヨに負けないで頑張ってねー」

美雪は手を振りながら駅に向かう。
あずさは心配そうに太郎を見つめる。

「お、押忍ー。がんマリますう!」

「……オース。オエ」

太郎もロベルトも倒れる寸前だ。

美雪とあずさと別れた。

 

「さーて、てめーら!  夜は長いぜ!」

相馬はハイテンションだ。
太郎は危機感を覚えた。

「(まずいぞ……このままだと、まともに審査を受けることなんて出来ない!  師範やあずさ先輩の前で恥を晒すことになる。……倒すしかない。相馬先輩を、酒で! )」

 

相馬は太郎とロベルトの腰に手を回し、繁華街を闊歩する。
と、何かを見つけ足を止める。

「おっしー!  てめーら、じゃんけんな」

「お、押忍? 何で今、じゃんけんを?」

「負けた奴が、あそこでTバックを買うんだ!」

そう言って、相馬は女性下着専門店を指差す。

「げげー!  あんなおしゃれなお店でえ?」

いくら酔っているとはいえ、太郎にはとても出来ない相談だった。
ロベルトは目を回したままつっ立っている。

「よーし、最初はグー!」

狂気のゲームはスタートしていた。

「じゃんけんぽん! ……がはははは!  太郎の負けだ!」

「げげげのげー!」

太郎のパーが震えている。

「おらー!  買ってこんかい!」

 

太郎は、歯を食いしばりながら店に入る。
相馬は大笑いをしている。
ロベルトは相変わらず立ちつくしている。

 

店内は明るく、大音量で音楽が流れており、良い香りが漂っている。
太郎は酔っている所為か、恥ずかしさからか顔を真っ赤にしてTバックを探す。
あろうことかTバックのコーナーは一番奥にあった。

「し、死ぬ。かつてこんな地獄を味わったことがあるだろうか?」

若い女性客、そして店員の視線が鋭利や矢のように太郎に突きささる。

「もうどれでもいい。買ってしまおう!」

太郎は奥の壁にかかっている品物を手に取り、レジに出す」

「い、いらっしゃいませ。プ、プレゼントでしょうか?」

彼女に下着をプレゼントするような男性のナリではない。
メガネで怯えている恋愛事に疎そうな太郎だ。

「い、いえ。そ、そのままで結構です」

「そ、そのまま?」

まるでコンビニでの会話のようだ。

「いえ、あの、何でもいいです」

「で、では袋にお入れしますね。8,980円になります」

「は、はっせんえーん!」

太郎は驚いた。
女性ものの下着は何と高いのであろうか?

 

太郎は憔悴した状態で店から出て来た。

「ぎゃはははは!  太郎、良くやったな!  じゃあ、次行くぜー!」

太郎は思った。早く相馬を始末しないと明日が無い!

 

青ざめた顔の太郎を引き連れ、相馬はあたりを見回しながら足を進める。

しばらくすると、相馬は足を止めた。

「よーし! 今度は、あそこだぞ!」

見ると、繁華街の隅に古く薄暗い建物がある。
一見、何の店だかわからない。

が、うっすらと空いているドアから中をのぞくと、太郎は驚いた。
太郎の辞書には無い、大人なアイテムの数々。

「そ、相馬先輩! ま、まさか」

「おう、じゃあ、いくぜー!」

 

またもや、じゃんけんに敗北した太郎は、大人のおもちゃを買うはめに。
こちらも相当な高額であった。

「・・・・・・まずい。 心も身体も金も限界だ!」

「ん? 何か言ったか?」

「いえ……その、の、飲み直しませんか? そろそろアルコールが切れてきたので」

実際は飲みすぎて倒れそうであった。

「おう、そうだな。よし、行くぞロベ!」

「オーシュ」

ロベルトも限界のようだ。

 

居酒屋に入り、太郎はすぐさまトイレに入り、手洗い場の水を目いっぱい飲んだ。
そして個室に入り、口に指をつっこむ。

「こ、これしかないー!」

 

太郎は少しスッキリした状態で戦場に戻った。
こうなったら相馬と刺し違えるしかない。

「先輩、飲み比べやりましょう!  なあ、ロべも!」

「おっ!  糞生意気な野郎だ!  店員さーん、じゃんじゃん持ってきてーん!」

 

太郎は勢い良く飲み続け、相馬を焚きつける。

そして、一定量飲んだところでトイレに駆け込みリバースする。
太郎らの席にはジョッキやらビンやらが散乱する。

ロベルトは既にダウン。

 

そして店に入って二時間が経過したころ、相馬は顔面から机に倒れ込んだ。

「ま、魔王に勝った!  再延長を何度繰り返したことであろうか……俺は勝ったんだ!」

しかしリバースを繰り返したとは言え、太郎の内臓は限界に達していた。

「や、休まなければ!  か、帰ろう。この人達はここに捨てておこう。う、うえっ」

 

太郎が一人店から逃げ出した時には、深夜2時を回っていた。
気持ち悪さを拭いためコンビニでガムを買い、タクシーを拾い、住処の道場に向かう。

 

「今夜は大変な散財だったぜ。明日、昇段審査なんだよなあ……うううう、頭が痛い」

一体どれだけの量を飲んだのだろうか。
太郎はあまりに酔い過ぎ、眠ることすら出来なかった。

と、その時、太郎の携帯が鳴った。あずさからだ。

「も、ももも、ししし」

『あっ、タロちゃん。大丈夫? 今、帰り?』

「あ、あずさ先輩……」

『お兄ちゃんは一緒? ロベルトさんは?』

「せ、せせ……先輩とロべはいません。ひ、ひとりで……」

『た、大変みたいだね』

「あ、ずさせん、ぱい……」

『ん?』

「す、好きです。世界で一番好きです」

『え……』

「好き過ぎて、まともに顔が見れません。好き過ぎて、まともにお話が出来ません。情けないのです」

『う、うん』

「本当は、言いたいのです。皆さんにも言いたいのです。あずさ先輩が大好きと」

『うん』

「僕らは、す、素敵な約束をしました。きょ、去年の世界大会の時です」

『うん。覚えているよ』

 

―――世界一に……世界一になったら……私は、タロちゃんのモノになったげる!

―――四年後の世界大会で、僕は、世界一になってみせます!

 

「僕は、せ、世界一になって、3年後の世界大会で優勝して、あ、あずさ先輩を……」

『うん。で、でもいいんだよ。世界一じゃなくてもいいの。私は、タロちゃんと一緒にいたいだけなの。空手から離れないように、私から離れないように、言っただけなの。私のわがままなの。私はタロちゃんの将来を、未来を縛りたい訳じゃないの。ごめん。タロちゃんに重たいものを背負わせてしまったみたいで……私も自分の気持ちを上手く伝えられないから……』

「ぼ、僕は、こ、告白もまともに出来ない弱虫です。だ、だから、そ、そんな、む、難しい約束でも、い、いいのです」

『タロちゃんは弱虫なんかじゃないよ』

「が、頑張ります。僕は、せ、青春の全てを掛けて、が、頑張ります」

『タロちゃん……』

「だ、だから、ま、待ってて下さい。ご、ごめんなさいです。あ、あずさ先輩を待たせるなんて」

『ううん。待ってるよ』

「い、一生で一人、あなただけを……そんな、あなたをゆ、唯一の、僕の、愛を……」

『うん』

 

 プッ……

 

なんと、太郎の携帯のバッテリーが切れてしまった。
しかし太郎は続ける。

「愛を誓います。あ、愛を……」

『―――ありがとう』

太郎の横にはあずさが見える。
酔いが妄想のあずさを見せている。

『―――タロちゃん、ありがとう』

「あ、あずさ先輩、そ、そこにいたんですか?」

『―――うん、ずっと、ここにいたよ。タロちゃんのそばに……』

「せ、先輩!」

タクシーの運転手は気味悪がりながら鏡越しに太郎を覗く。
太郎はあたかも隣に女性がいるように話している。

『―――タロちゃん……今夜はずっと二人で』

「は、はいー」

 

タクシーは板橋道場の前に止まる。
太郎は財布ごと運転手に渡す。

「お、お客さん、大丈夫ですか? 代金いただきますよ。3,450円です」

「あずさ先輩。着いたようです。僕らの愛の巣に」

運転手は開いた口がふさがらない。

「駄目だこりゃ。何が愛の巣だよ。空手の道場じゃないの。本当にここでいいのかなあ」

運転手は太郎に財布を返し、車を出した。

太郎は幻影のあずさの手を取り、道場に入っていった。

『―――タロちゃん、暗いままがいい。恥ずかしいから』

「あ、あずさ先輩。ま、まさか!」

『―――は、恥ずかしいな』

幻影のあずさは服を脱ぎ始めた。

「あ、あずさ先輩!」

窓から入ってくる月の光があずさの裸体を照らした……太郎には見えるのだ。

「き、きれいです。この世のものとは思えない」

そこには白く輝くあずさが立っている。

『―――タロちゃん……きて! 』

「あずさせんぱーい!」

 

太郎の夜は続く。

 


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