第2話  突きと激痛

 

白い服装の男は、太郎の絶叫に耳をふさいだ。

「ちっ! うるせーなあ! 夜は静かにしなさいって、母ちゃんから教わらなかったか?」

暗闇ではっきりとは分からないが、太郎を見下ろすその男は、髪を金色に染めているようだった。
セミロングの髪を逆立たせている。

太郎は、恐怖で震えながら口を開いた。

「あ……す、すいません。不思議な音が聞こえたので森の中に入ってきてしまいました」

男は呆れたようなしぐさを見せた。

「はあ? 普通、音がするからって真夜中の森に入ってくるか?」

髪形と、しゃべり方も相まって、一般人とは思えなかった。

太郎は恐る恐るその男に訊ねた。

「あ、あなたこそ、こ、こんなところで何をやってるんですか?」

自分の声が震えているのが分かる。

「俺はなあ、お月様の下で”空手”の修行をしてるんだよ」

「か、空手?」

言われてみれば、男の来ている服は空手だか柔道だかの服装のように見える。
目を凝らすと、腰に黒い帯のようなものが巻いてある。

その男はくぼみにへたり込んでいる太郎に手を差し伸べた。

「おら、手ェつかめよ」

「あ、ど、どうも」

太郎が、男の手を握ると同時に、凄まじい力でくぼみの上まで引き上げられた。
しかしお世辞にも丁寧な救出では無く、胸から下は地面に引きづられた格好となった。

「あわわわ」

太郎はガニ股で自分の下半身を見て、目を細める。
暗くて良く見えないが、おそらく土や枯葉が服にこびりついているだろう。

 

「ちょっと、こっち来いや」

「はひ?」

その男は右手の親指を立て、自分の後ろを指し示している。
どこに連れて行こうというのか。

太郎は男の後に続く。

なるほど確かに空手をやっていると言うだけあって、がっしりとした後ろ姿だ。
太郎より10cmほど背が高い。
太郎は身長が164cmなので、この男は日本男性の平均程度の大きさというところか。 

 

 

しばらくついて行くと男は立ち止まった。

「ここだ」

「うわあ!」

男の横には、周りの木々よりも一回りも二回りも太く大きな樹木がそびえ立っていた。
樹齢は300年、500年、想像もつかない。

2メートルほどの高さには、綱が巻きつけられていた。
祀られている神木か何かなのだろう。

「ちょっと見とれ」

そう言うと、男はその神木に向かって、右足を半歩後ろに下げた。
そして、両腕を前に突きだし、軽く肘を下げ脇を締める。

これが空手の構えなのだろうか。

と、男は右の拳を素早く引くと、その神木に叩きつけた。

夜の森に鈍い音が響く。

太郎は顔を強張らせた。
それは、神木に対して「不謹慎だ」と感じた訳ではなく、「手が痛くないのか」という単純な驚きからだった。

さらにその男は右膝を高く抱え込み、2メートルほどの高さはある縄の辺りに蹴り込んだ。
今度は、先ほどよりも高い音が響き渡った。

どうやら、太郎に聞こえていたのは、これらの音だったようだ。

太郎は突然の男の行動に唖然としている。

「どうだよ、カッコ良いだろ?」

男は帯の両端をキュッ締め、太郎に訊いた。

「か、カッコ良いです! い、痛くないんですか? その、手とか、足とか」

「ふふふ。俺のような上級者になると、痛くもかゆくもないんだな」

「ふえー、凄い」

「そうだろ、そうだろ。がはははは」

その男は腰に手を置いて大笑いをしていたが、しばらくして黙りこんでしまった。

そして、頭を軽くかきながら、太郎をじっと見つめる。
何か考え込んでいるようだ。

そして、口を開いた。

「……お前……俺と同じように、この木、突いてみろや」

「え?」

「え、じゃねえよ。突け!」

「ええええええ? そ、そんな、怪我しちゃいますよ。見て下さい、この細い腕を」

「ぐちゃぐちゃうるせー!」

「ひー!」

どうやら逆らえば、ただでは済みそうにない。

太郎は覚悟を決めた。

 

しかし、いきなり樹木に素手で殴りかかって、大丈夫なものだろうか。

だが、この男は相当力を入れて突いていた。
案外人間の拳は丈夫にできているのかもしれない。

太郎は段々と、試してみたくなってきた。

「わかりました。やってみます」

「うむ。それでいい」

太郎は、右手でじゃんけんのグーのような形を作り、左足を浮かせて勢いをつけようとした。

すると、その男に止められた。

「おいおい。なんだよ、てめーは拳の握り方もわかんねーのか」

男は片目を細め、右唇をクイッと上げた。

太郎は少しむすっとしたが、顔には出さなかった。

「構えはどうでもいいけどよ、突くんなら握りはきちんとしないとな。親指以外の4本をしっかり丸めて、親指でロックする」

男は実際にやって見せた。

暗くて良くわからないが、どうもその男の人差し指と中指の付け根は大きく盛り上がっているように見える。
日頃固いものを叩いているせいだろうか。

「こうですか?」 

太郎は握ってみた。
なんだかぎこちないが、これが拳の握り方らしい。

「そっ、簡単だろ。じゃあ、やってみなさい」

太郎は、一息ついて、集中し……大きく振りかぶって、渾身の力で作った拳を樹木に叩き込んだ。

しかし、先ほど聞いたような鈍い音はしなかった。
そのかわり何か、にんじんだとか、ごぼうだとかをへし折ったような音がした。

同時に脳天に突きささるような激痛が太郎に襲いかかった。

「うわああああ……いいい、痛たあああ!」

痛い部分を身体の一番遠いところへ持って行くのは本能のなせる技か。
太郎は右腕を水平にまっすぐ伸ばす。

声にもならないうなり声のようなものが喉の奥から漏れる。

 

一方、男はこの光景を見て驚いているようだ。

「うおっ、こ、こいつ……全力で突きやがった。……全力で!」


 
どうやら太郎は、この男の想像以上の突きを放ったらしい。

 

 

男は、しばらく呆然としていた。

「ふ……ははは、凄げーな。……いるんだな本当に、こんな大馬鹿が……いるんだ」

そんなつぶやきのような言葉は太郎の耳には入ってこなかった。

 

男は太郎の右腕をそっと持ち上げた。

太郎は、顔を歪める。

「いたたたたああ」

「折れてるな。だが、まあ、すぐに治るさ。そしたら、今より固く強い拳になってるだろうよ」

しばらく歯を食いしばっていたが、段々と激痛は収まってきた。

真冬なのに、身体中から汗が噴き出している。

そのうち太郎の息遣いもだいぶ落ち着く。

 

 

先ほどから腕を組んでいたその男が太郎に話しかける。

「お前、大学生か?」

「は、はい。そうです」

「ふーん……」

「な、何か?」

「……空手やってみないか?」

「え? か、空手ですか?」

今まさに、その空手の技で大怪我をした太郎は、拳が本当に治るのかどうか。
そのことの方が大事だった。

「で、でも、僕なんかに出来るかなあ」

「大丈夫、大丈夫。初めは誰だって不安なもんさ」

先ほどからとはうって変わって穏やかなもの言い。

しかし太郎は考えた。
ここは何とかうまく断って立ち去り、早く病院へ駆け込みたい。

何よりも、この男から早く解放されたい。

「あ……でも、僕、東京の大学に通っているんですよ。今は実家のある千葉に帰省していて……」

「えー! ああ、そうなの? 俺の道場も東京なんだよ。ちょうどいいじゃん」

なんと運の悪いことか、この男も東京らしい。

しかし、実際この千葉房総の山間部に住んでいたらどうしていたのか。
まさか東京の道場まで通えと?
この男なら言いかねない。

「でも、僕、目が悪いんです。メガネはずしたら、本だってまともに読めませんよ。空手なんてとても」

確かに太郎は近視が酷かった。
視力検査では、一番大きい『C』が判別できない。

「問題ないぜ。試合以外はメガネかけてる道場生はたくさんいるよ」

試合。

そうか、空手は試合があるのか。

今までの人生を争いというものから一番遠くに身を置いてきた太郎にとって、空手の試合などというものは、未知の世界であり、最も関わりたくない世界だった。

だが、この男は太郎はどんな言い訳を用意しようと無理やり空手の世界に引きずり込もうとするだろう。

これは適当に誤魔化すしかない。

「じゃ、じゃあ、やってみようかなあ、空手」

「おっ! 本当か? いいねえ。じゃあ、俺の道場のチラシ渡すから」

そう言うと、その男は近くに置いてあった黒い大きなドラムバックを漁り、横A4サイズを三つ折りにした大きさにカラー印刷されたチラシを太郎に渡した。

そこには『”神覇館”板橋道場』と書かれていた。

太郎は左手でそれを受け取った。

「じゃ、じゃあ、時間を見つけて、寄らせていただきます」

「おう」

太郎は、軽く会釈をした。

 

しかし、もと来た道を数メートル進んだところで、その男に呼び止められた。

「おい! お前は、名前、何てんだ?」

太郎は、もう会わないだろうと思ったが、大きな声を出した。

 

「水河……水河太郎といいます!」

 

暗くて良く見えないが、男は笑顔を見せたように見えた。

 

「俺は、相馬清彦ってんだ。よろしくな、太郎!」

相馬清彦。

「太郎! お前、空手のセンスあるよ。俺様が保障する。きっと強い空手家になるだろうぜ!」

相馬は、腰に手をおいたまま叫んだ。

太郎は、相馬にお辞儀をし、その場を離れた。

 

 

太郎は、腫れ上がった右手をかばいながら何とか車を発進させた。
当然マニュアル車であれば、自分で運転することは出来ないだろう。
ウインカーはかろうじて使える小指で操作する。

 

車体が揺れるたび、壊れた拳が痛む。

長い山道を抜け、舗装された道路に出ると、ようやく人心地がした。

しばらく進むと、国道に入った。

 

 

左手には、東京湾沿いのコンビナートが広がっている。

太郎は、ぼおっと、先ほどの体験を思い出す。

「空手……か」

赤信号で止まると、太郎はジンジン痛む右手を見つめた。

「今まで、こんな怪我したこと無かったな。なんか生きてるって感じだ」

太郎の中で、不思議な感情が芽生え始めていた。

「偶然……いや、奇跡的な出会いだ。深夜の森で。空手家と。これは、運命かもしれない。それに、俺、センスあるって。強くなれるって言ってたな」

青信号になり、ゆっくりと車を発進させる。

「板橋道場って書いてあったな。大学からそう遠くなさそうだし。や、やってみようかな、空手。再来月には三年生になり、就職とか考えなくちゃならない時期だが……こんなつまらない毎日じゃあ、可哀想だしな、俺が。や、やってみるか……」

いつもより饒舌な独り事をつぶやきながら、太郎は実家に向かった。

 

二月の寒空の下。

満月のきれいな、不思議な夜だった。

 


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