第93話  芸人の入門

 

12月。
世界大会が終わり、板橋道場は平和な日々が続いていた。

最近、相馬は道場にいないことが多くなった。
あずさによれば、稽古一色で美雪との時間が過ごせなかった穴埋めをしているとのことだった。

 

夜、太郎は大学の授業を終え、道場に戻る。
普段は一般の稽古も終わっており、一階の道場には誰もいない時間なのだが、その日は相馬と岩村が何やら話しこんでいた。

「押忍、戻りました」

「おう」

「おかえりなさい。お疲れ様」

「押忍、岩村先輩。こんな時間にどうしたんですか?」

「いや、ちょっと、相馬先輩にお願いごとをね……で、相馬先輩。どうでしょうか?」

「うーん、岩村さんの頼みなら聞きたいところだが、俺は勘弁してもらいたいですね」

「そうですか……相馬先輩なら華があるので適役だと思ったのですが……」

「あっ、そうだ!」

相馬は、階段を上がろうとする太郎の首根っこを掴んだ。

「いたたたた」

「岩村さん。こいつの指導やらせればいいんじゃないですか? 新人指導員と新人芸人の稽古の日々……どうですか?」

「おお! いいかもしれませんね! 是非お願いします」

太郎の知らぬところで何かが進行しているようだった。

「せ、先輩方……何かあるんですか? ぼ、僕が指導?」

岩村は申し訳なさそうに説明する。

「いやあ、実はね。僕の持ってる番組のコーナーで今度、新人芸人の空手入門って企画をやろうと思ってるんだよねー」

岩村は大手テレビ局のプロデューサーをしている。

「半年くらいの撮影にしようと思ってるんだ。そこで、先ほど相馬先輩から提案があったように……太郎君に指導員をやってもらおうかと思うんだよね」

「ななな!」

「そういうこっちゃ! てめーはまだ茶帯だが、俺様の指導を直接受けているし、まあ大丈夫だろう。初心者用専用の時間帯を作るからよ。そこで指導員やれや!」

「ははは……そんなわけで、太郎くん。お願い出来るかな?」

太郎は困惑の色を隠せない。

「いやー、僕じゃ無理ですー!人に教えるようなタマじゃないですって」

「てめーが金タマだろーが何だろう―が、関係ねーんじゃあ! それにな、視聴者の皆サンは、慣れないてめーの指導員っぷりが見たいのよ!」

相馬はテレビ関係者のようなことを言う。

「つーか、これは俺様の命令だからな! ちゃんと岩村さんの顔に泥を塗らねーよーにするんだぞ!」

「ひー!」

慌てふためく太郎をなだめるように岩村は肩を叩く。

「まあ、そんなに緊張しないでね。こっちで上手くやるからさ。ただ……」

「ただ?」

「その新人芸人ってのが、ちょっと癖のある子なんだな」

「だ、誰ですか?」

「……『スモークラバー正宗』君なんだ」

「げげ!」

スモークラバー正宗(通称:スモラバ正宗)とは、タバコを吸いながら漫談するという奇想天外な芸人だった。
この芸風はテレビではあまり使えず、たまに深夜放送で見るくらいだった。

とはいえ、板橋道場の内弟子となってからは、テレビを見る機会がほとんどなくなったので、今、どのくらい売れているのかわからないのだが。
インパクトが強い芸人だったので太郎も知っていた。

「ふーん、聞いたことねーなー」

芸能にあまり興味の無い相馬は知らないようだ。

「そんなに認知度の高くない芸人を使うってコンセプトなんだ。まあ今度、道場に連れてくるんで……よろしくね」

そう言うと、岩村は去って行った。
日ごろから、非常に世話になっている岩村の頼みを太郎も断ることは出来なかった。

「ふふ、そういうことだ。ロべの野郎を補助に付けるから安心しな」

「お、オス」

不安でいっぱいな太郎だった。

 

 

そして対面の日がやってきた。
相馬、太郎、ロベルトが待ち構える。

岩村に促され道場に入ってきたのは、まさに、たまーにテレビに登場していたスモラバ正宗だった。
耳を覆い、アゴの辺りまで伸びた髪。
空手道場に似つかわしくないだらしのない格好で登場した。
岩村は3人に紹介する。

「こちらがスモラバ正宗君です」

「ちういーーーす」

正宗は二本指を立て、身体をくねらせながら入って来た。
太郎は既に、後ろにいる相馬から殺気がみなぎっているのを感じた。

「じゃ、じゃあ、正宗君。自己紹介でも……」

岩村も相馬の殺気を感じ取ったのか動揺している。

「なら俺流の自己PRネタやるっス」

正宗は何と胸ポケットから煙草を取り出し、おもむろに火を付けた。

「ちょっ!」

岩村が制止しようとした時にはもう遅かった。
空手道場内で喫煙をするなど言語道断だ。

「プカプカプカプカ、スモーキング! 煙をくゆらせ、スモーキャンガッ!」

正宗は謎のダンスとともにネタをやってのけ、両手を上げて決めポーズ。
どこが自己PRなのだろうか。
あまりの常識外の行動に皆固まっている。
笑っているのはロベルトだけだった。
相馬からはよりすさまじい殺気が溢れている。

と、そこへ、あずさが道場に入ってきた。

「あ、撮影始まっちゃった?」

あずさを見るや、正宗はタバコを放り投げ、あずさに近づき手を握った。

「なんだ、可愛い娘いんじゃん!」

刹那、正宗は相馬の横蹴りによって、道場の反対車線まで、すっ飛んで行った。

 


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