第79話  理性と本能の戦い

 

「……俺は、何故ここにいる?」

太郎は、自分で入れたのであろうか、苦いお茶の入った茶碗をすすりながら辺りを見回す。
薄暗く、暖色系な壁紙。
部屋のあちこちには派手な照明。
そして自分が腰を下ろしているダブルベッド。

「……間違いない。ここは、俺には一生縁が無いと思われていた……ラブホテル!」

 

風呂場らしき場所からは、シャワーを浴びる音が聞こえる。

「俺は、公園で可愛い女子大学生と出会い、その同級生らしき男を蹴り倒し、その子を連れ去った」

顔を手で覆う。

「ただの……正真正銘の誘拐犯じゃん。今、シャワーを浴びているのが……葉月さんか……って!」

太郎は、自分がちゃかり白い寝間着姿なにに気付いた。

「な、なんてことだ……俺はすでにシャワーを浴びてるのか! ……くっ、あの男子大学生をぶちのめしてから、記憶がいまいちはっきりしないぞ。俺は女性をラブホテルに連れ込む為に空手をやってきたのかよ……はあ」

 

ため息をつき、改めて部屋の中を見回す。

「そうだ。過ちだけは……過ちだけは起こしてはならんぞ、太郎! 俺には、あずさ先輩っちゅー素敵な女性がいるんだから……と、言いつつ何というこの身体の火照り! これは、酔いだけのせいではない! この派手派手しい部屋からのオーラがそうさせているのだ。駄目だ! 確か、葉月さんも俺と一緒にいたいとか言ってたしな。向こうもまんざらでもないのだ。ますますやばい! 落ち着かないと!」

太郎は、テレビをつける……と、映し出されたのはアダルティーな映像と音声。

「ななななあっ! 何と! なんて気が利いてるんだ!」

 

テレビを消し、ベッドに倒れ込む。

「だがっ……ふふ、大丈夫。本番の時は“アレ”が無いといかんのだ。ちゃんと避妊しないといけないしね。アレが無ければさすがに俺も……俺の理性が勝つだろう」

ふと、横を向きベッドランプの下を見ると、ティッシュ箱の横にアレ(コ○ドーム)は置いてあった。

「ギャー! あるう! アレもある! 何と細かい気配り! これはいかん、なんとかしなきゃ! 理性が保てる保証はない」

太郎は置いてあったアレを掴み取り、ベランダに出て外に放り投げた。

そして、なんということか。
アレは窓下を歩いている男性の頭に落下してしまった。

部屋は2階だったらしく、その男性の顔がはっきり見えた。

「げげっ! 中条選手!」

そこにいたのは目黒道場の中条であった。
中条は、アレを掴みとると、太郎を方を向いた。

「……これは板橋道場の水河君じゃないか。体重別全日本大会が終わったばかりだというのに恐れ入る」

「ははは……押忍」

「ふふ。何のつもりかしらんが、こいつは貰っておこう」

中条は物をポケットにしまい去って行った。

 

「ほー、ビックリした。しかしあの人とはいつも変なタイミングで会うな」

太郎は窓を閉め、ベッドに戻った。

「こうなったら寝た振りするしかない……あの子には申し訳ないが」

 

しばらくすると、シャワーの音が止み、ドライアーの音がしてきた。
太郎の心臓が高鳴る。

 

髪をとく音がし、少しすると、ベッドに近づいてきた。

そして葉月は太郎のいるベッドにもぐりこんできた。
太郎の心臓はさらに高鳴る。

女性だ。
何と柔らかい、何と、いい匂い。
太郎は理性が保てなくなってきた。
本能と理性の熾烈な戦いが勃発している。

「ねえ、起きてるんでしょ?」

葉月の言葉に、後ろを向いている太郎は情けなくなった。

「う、うん」

「どうして、私をここに連れて来たの?」

「う、じ、実は良く覚えてないんだ。よ、酔ってて」

太郎は言った後で後悔した。
葉月を傷つけてしまったんではないか。

「ご、ごめん」

「いいよー別にい。私もこんなとこ来たの初めてだし。何か修学旅行みたいで面白いね」

どうやら怒ってはいないようだ。
それともそんな振りをしているだけなのか。

太郎は、ゆっくりと葉月の方を向いた。
布団が何だか重く感じた。

真横に見る葉月は、白く輝いていた。

「(うっ、な、なんて可愛いんだ。真っ白な肌! 潤んだ大きな目! 柔らかそうな唇! やばい! 超キスしたい! ああ、俺はここで何もしなければ一生後悔する気がするー!)」

しても後悔、しなくても後悔。
太郎はどうすればいいか、わからなくなってきた。

「好きな人がいるんでしょ?」

「う!」

言葉を失う太郎。

「だって、何か我慢してる感じだもん」

葉月には全てお見通しのようであった。

「いるんでしょ?」

「う、うん」

太郎は頷いた。

「じゃあ、女性をこんなところに連れてきちゃ駄目じゃない」

「ご、ごめん」

「でも、ただの真面目なお兄さんってだけじゃないんだね。大野君を伸ばしちゃったし」

大野君とは、太郎の前蹴りで沈んだ、あの男性だ。

「大野君は背も高いし、ずっと体育会系で来てたから、仲間内でも結構自信満々な感じなんだよ。いつもリーダーっぽいし。そんな人を、あなたみたいなメガネでちっちゃい人が倒しちゃうんだもん。びっくりしちゃった」

葉月は、太郎の胸に触れた。

「ひ!」

太郎は思わず声が出た。
女性に胸を触られたのは初めてだ。

「え、凄い! 何この筋肉……腕も、腹筋も! すごーい!」

葉月は太郎の上半身を撫で続ける。
太郎は唇を噛んで耐える。
でも、嫌じゃない。

「ふーん、この身体で、好きな人を抱いてるの?」

「う!」

突然の質問にまたも言葉を失う太郎。
会話の流れを変えなければ。
自分が女性未経験と言うのはばれたくない。
と言っても、葉月にはお見通しなのかもしれないが。

 

「さ、さっきの大野君は恋人なの?」

大野君ネタで誤魔化すことにした。

「ううん。違うよ。高校から一緒なだけ。いつも一緒のグループだったから、お兄さんぶってるんだよ」

「は、葉月さんは、大野君の事好きなの?」

「好きだけど……うーん、でも男としては見れないかなあ」

「好きだけど、か」

ふと、太郎の脳裏にあずさの顔が浮かんだ。

あずさは自分の事を好きなのだろうか?
やっぱり、わからないのだろうか?

そうそう簡単に割り切れる話ではないのだろう。
だが、出会ったばかりの女性とこんなところに来ているなんてばれたら、一発アウトだ。

ふと太郎の頭に中条がよぎったが、気にしないことにした。
板橋道場とかかわりがある訳でもないし。

 

 

太郎と葉月は朝までとりとめのない話をした。
夜が明け、外が明るくなってきた。
早朝、二人はホテルを出た。

「じゃあね、太郎さん」

「うん、元気でね」

 

太郎は葉月が歩いていくのを見ていた。

と、葉月は振り返って笑顔で言った。

 

「私、太郎さんが攻めてきても拒否らなかったのにい!」

 

「ふぇ?」

「またねー、バイバイ」

葉月は大きく手を振って小走りで去って行った。

 

「うう、何なんだ、この後悔の渦はあ! 携帯番号もアドレスも交換してないし。もう会わないのなら、ちょっとくらい、何かしても良かったかな?……俺は真面目なんだな、やっぱり」

 

 

太郎は、大きくため息をつくと、葉月と出会った公園に戻り、缶コーヒーを買って、ベンチに座る。

昨晩は暗くてわからなかったが、赤に近い茶色のおしゃれなベンチだった。

「なかなか素敵な夜だったな。あずさ先輩に大いなる隠し事が出来てしまったが、やましいことはしてないし。夜通し女性と会話したことで、少し自分が成長した気がするぜ」

 

ゴミ箱に空き缶を捨てる。

「なんだか体重別の落ち込みも無くなったような気がする。今日から世界大会に出場する相馬先輩とロベルトの稽古にちゃんと協力するぞー!」

太郎は、両手で大きく背伸びする。

「女性と過ごした後のこの早朝の空気……オレンジ色で甘い。ああ、青春だぜ!」

 


NEXT → 第80話  相馬への打診   へ


BACK ← 第78話  葉月との出会い へ


 

サブコンテンツ

このページの先頭へ