第78話  葉月との出会い

 

体重別全日本大会が行われていた大阪から東京に戻り、板橋道場の面々は池袋駅の近くにある中華料理屋で、太郎の体重別全日本大会準優勝の祝勝会を開いた。
ただし、当の本人にとっては残念会になってしまったわけだが。
それでも太郎は酒を飲みながら笑顔を作っていた。
他の仲間達へ心配をかけまいとして。

「もう一軒行くか?」

「押忍……自分は、辞めときます」

太郎の気持ちを推し量ったのか、相馬はそれ以上誘わなかった。

「おう、そうか……じゃあ気をつけてな」

「押忍」

 

太郎は精いっぱいの笑顔で皆を見送った。
あずさが心配そうに自分を見ているのには気づいていたが、顔を見れなかった。

 

 

太郎は池袋駅を背にして、東の方へと歩いていく。
行くあてはない。
ただ茫然と歩き続ける。

相馬に出会ってから2年間。
太郎は、生活のほとんどを空手に費やしてきた。
同年代が次々と将来を決めている中、太郎は自分がやっていることが正しいのか、正しくないのか、今することなのか、自問自答しながらも空手に専念してきた。
そして自分も想像出来ないほどにのめりこみ、そして成長した。

全日本大会に出場し、体重別全日本大会では日本一まで後一歩のところまで行った。
しかし、後一歩届かなかった。
そして、そのことが自分をこれほどに落胆させるとは。

神覇館空手家の最大の目標であり、夢の舞台である世界大会への出場の機会を逃してしまった。
師である相馬、同期のロベルト、目標の志賀、皆先に行ってしまう。

 

 

いつしか広い公園にたどり着いた太郎は、自販機でコーヒーを買い、ベンチに座った。

終電近づいてきた公園では大学生だろう、若者が楽しそうに騒いでいた。
太郎よりもいくつか年下なのだろう。
しかし、彼らも人生の岐路に立てばそれなりに襟を正し、過去を過去と割り切り社会に飛びこんでゆく。

世界大会への挫折は太郎に現実を強く意識させた。

「大学5年生……しかも卒業の見込みもない。資格を持っている訳でもなし」

太郎の瞳に涙が浮かぶ。
太郎には涙の訳が、世界大会に出場できないことなのか、自分の置かれている立場からなのか分からなくなっていた。
ただ情けなさ、自己嫌悪から涙が頬をつたう。

「何を、何をやってるんだ、俺は」

太郎は大きな声を上げて泣いた。

周りで騒いでいた若者達は一様に顔を見合わせ、そしてすぐに元通り騒ぎだした。
関係がないのだ、そもそも。誰が近くで泣いていようと。

 

「なんで泣いてんですかあ?」

太郎が声に振り向くと、いつのまにか隣に女性が座っていた。
電燈に灯される姿は、色白の肌にほんのり頬が赤らんでいる。
ウェーブがかった長い髪。
ばっちりとメイクされた大きな目が太郎の顔を覗き込む。

「……」

太郎は手のひらで顔を拭く。

「そんなんじゃきれいにならないよお。これ借したげる」

黒く大きな肩掛けバックから白いハンカチを取り出して太郎に渡す。

「あ……」

太郎は手の震えでハンカチをうまく掴めない。

「もう」

女性は太郎のメガネを素早く取り外す。
白いハンカチは太郎の顔に優しく触れた。

「ふきふき。はい、これで良し」

「……」

太郎は突然の出来事に声が出なかった。

 

「葉月よおー、もうすぐ終電だぞお」

近くで騒いでいた若者達がこちらに向かって声を上げる。
どうやらこの女性は先ほどから公園で騒いでいた大学生達の仲間らしい。

「はああい。今行くよ」

“ハヅキ”と呼ばれた女性は仲間たちに手を振る。

「ど、どうも。あの……ありがとう」

「どういたましてえ。てゆーか、お兄さんお家帰れます?」

「だ、大丈夫。それに、今夜は帰らないんだ。その辺うろうろしたり……」

太郎は酔ったせいか、うまくしゃべることが出来ない。

「ふうーーん、訳ありなんだ。面白そう」

「……面白くなんてないよ」

「面白そう!」

葉月は太郎にべったりとくっついてきた。

「わわわっ」

太郎は思わず声を上げた。

 

「おいっ!」

どなり声に横を向くと、体つきの良い若者が立っていた。

「西山! もう終電だよ。そんな変な奴、放って置いて行こうぜ!」

その男性は、葉月の袖をつかむ。

「ちょっと、何すんの! 何であんたにそんなこと言われないといけないの?」

葉月は男の手を振り払う。この男は葉月の恋人なのだろうか?

「ちっ、なんなんだよ。親切で言ってやってんのに。終電逃したらどうするんだ。いつもベロベロに酔いやがって!」

「は? うざいんだけど? 何で彼氏面してんの? いつからあんたは私の彼氏なのよ!」

 

太郎を挟んで二人の男女の口論は止まる気配がない。

「葉月……さん。この人の言うとおりだ。帰れなくなるよ」

太郎は多少名残惜しいが、葉月をたしなめる。

「えー、もう少し一緒にいたいい」

そう言うと、葉月は太郎の腕を掴んだ。

「わたしはこの人と一緒にいるから、大野君は帰っていいよ」

「いい加減にしないか。俺も怒るぞ」

すでに、この大野君は相当怒っているようだが。

 

そんな中、太郎はそもそも機嫌が良くはない状態だったし、その大野君とやらの高圧的な言動にもいささか腹が立ってきた。
太郎は、葉月に言った。

「……帰りたくないんだったら、帰んなくてもいいんじゃない?」

「え?」

普段の太郎からは出ない言葉だった。
傷心と酔いと深夜のハプニングが太郎を駆り立てたのだろうか。

葉月は大きな目をパチパチさせている。

「……おい君、調子乗るなよ。僕は酔っ払い相手でも容赦しないぞ」

男は拳を握りしめた。

喧嘩だ。
初めての喧嘩。
試合じゃない。
太郎は酔いつつも、冷静に相手の拳を見た。

「(暗くてよく見えないが、拳ダコは無いようだ。それにこいつの立ち方。まるでなっちゃいない。隙だらけだ。イキがってる素人だ)」

太郎はすっと立ち上がった。

「な! 君やるのか!」

太郎は、腕をだらりと下ろし、身体は半身を取る。

「(俺より、一回り大きいな。それに筋肉も多少はありそうだが、ロべと比べればなんてことない。好きな女の前でカッコつけたいんだろうが……女性に対する態度がなってないな)」

「え? え?」

葉月は自分の目の前で起こっていることに戸惑っている。
まさに自分の為に二人の男が喧嘩を始めようとしているのだ。

「おい、何とか言えよ! やるのか!」

大野は大声を上げているだけで一向に行動に出ない。

そんな大野に対して、太郎は何の躊躇も無く正確に、みぞおちに前蹴りをめり込ませた。
大野は声も無くその場にうずくまる。

太郎はベンチで腰を抜かしている葉月を抱えあげるとその場を走り去った。
後ろからは「葉月が誘拐された」などと声が上がっている。

 

「え? 何、あなた? 何者?」

「悪者」

「うそー、きゃー!」

葉月は大声で笑う。
太郎は葉月を抱えたまま池袋の街を走り抜ける。

 


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