第69話  浜辺にて

 

3月。
太郎は大学の成績表を受け取りに大学に来ていた。
1浪を経て入学してから早4年が経っていた。
前半は怠惰な生活の為、後半は空手の為、ほとんどキャンパスに姿を現すことはなかった。

久しぶりに来てみると新しい校舎が立っていたこともあった。
知り合いもほとんどいない。

だが何のために大学に入ったのか悩むことは今や無い。
空手に出会い、自分なりに日々を有意義に過ごせているからだ。

太郎はキャンパス内にある中庭の芝生に腰を下ろし、成績表を開いた。

「取得単位合計……98……か。決まったな、留年が。来年度は大学5年生か。ヘタすると5年生じゃすまないかも」

卒業に必要な単位は124単位には大幅に届いていない。
当然予想はしていたものの、いざ悲惨な成績表を目の当たりにすると落ち込む。
しかし太郎には、さらに頭の痛い問題があった。
この状況を千葉の実家に住む両親に報告しなければならないことだ。
父も母も当然4年間で卒業するものと思っているだろうし、就職の報告を今や今やと待っているハズだ。
太郎はこのことを聞かれる度にあいまいな返事をしてはぐらかしてきたが、ついに年貢を納める時が来たのだ。

両親に電話を掛けなければならないが、どうやって説明すればいいのか。
納得してくれるだろうか。
怒られるだろうか。
そんなことを考えながら太郎はキャンパス内をうろうろと歩き続けた。

「こんな悩んでいても始まらない。覚悟を決めて電話するぞ」 

太郎は意を決して、実家に電話を掛けた。
すると母親が出た。

用件を伝えると予想通りに散々に叱られた。
それだけではない。
ところどころに泣き声のようなものも聞こえた。

太郎は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

しばしの沈黙の後、父親が代わった。
今日は休日だったのか。

「太郎。卒業出来ないらしいな」

「本当に申し訳ありません」

「……ここ2年くらい空手をやっていたようだが」

「はい、そうです。すいません。そのせいで勉強がおろそかになってしまいました」

「いや、謝ることは無い」

意外な言葉に太郎は耳を疑った。

「そ、そうですか?」

「もう、私たちは十分にお前を育て上げた。ここから先はお前が自分で切り開いて行け。大学も中退しようが、卒業しようが好きにすればよろしい」

「す、好きにですか……あ、ありがとうございます」

「何を勘違いしているんだ。私はお前を見捨てるのだ。勘当だ。帰省することは許さん。お前は私たちの期待を裏切ったのだから」

「う……」

太郎は言葉が出なかった。
父は静かな口調だったが、声は震えていた。
怒りも当然あるだろうが、それよりも悲しみの気持ちが伝わってきた。

「す、すいませんでした」

「頑張れよ」

父はそのまま電話を切った。
最後に、頑張れよ……と、言って。
本当に勘当されたのだろうか。
こんなに簡単に親子の縁が切れるものなのだろうか。

太郎はもう一度実家に電話を掛けてみた。
繋がらない。
着信拒否の設定をされたらしい。
これは本気だ。

「……か、勘当されてしまった。……まあ、仕方ないか。親からしたら、どうしようもないバカ息子だよな」

 

銀行で預金の残高を確認する。
相馬の部屋に住まわせてもらっているので奨学金は遣わずに貯まっている。

「これで、留年分の学費はなんとかいけるか……はあ」

なんだかこのまま道場に帰りたくない気持ちになってきた。

 

不安。
将来への不安。
人生の不安。
そんな目に見えない何かに、飲みこまれそうな感覚。

「……ちょっと遠出するか」

太郎はロベルトに電話し帰りが遅くなる旨を伝えた。

「海が見たいな……」

太郎は行ったことはないが、聞いたことはある江の島を目的地にした。

「なんかわくわくしてきたなー!」

 

 

新宿駅から湘南新宿ラインに乗り、一路鎌倉方面へ向かう。

太郎の隣の席の男は、少し小太りで、足を組んでいた。
なおかつ、ヘッドホンからは、騒々しい音楽が漏れている。
太郎は、その男の足に触れぬように、若干身体を傾ける。

太郎は思った。
自分は成長したな、と。
少し前の自分であれば、こんなとき、大きなストレスを感じていたものだ。
しかし、今は、こうやって相手を気遣って身体を傾けていても、さして何も感じない。
心底どうでもいい。
こんなことで勝ちも負けもない。
強くなったんだな、心も身体も。

時折、男からは、大きな咳払いや、ため息が聞こえてくる。
そのうち、大きく貧乏揺すりを始めた。
太郎は、ゆっくりと首をその男の方に向け、一秒あまり目を合わせ、また視線を戻した。
すると、その男は、足をほどき、聴いていた音楽の音を下げ始めた。

こんなものなのだ。
たった一秒で瓦解するツッパリ。

「(もう良い子になっちゃうのか。格好悪い奴)」

 

格好いい、悪いでパッと頭に浮かぶのは、相馬だった。
普段は、傍若無人を絵に描いたような男であるが、一本外に出ると、ことに公共の場での相馬は、武士道然としている。
非常に静かなのだ。
電車に乗っていても、物音一つたてないし、動かない。
太郎は、そんな相馬に触発され、昔からの悪い癖であった、貧乏揺すりを止めた。
その他、なるべく鼻をすすることもしなくなったし、無駄に顔を触ることもしなくなった。

すると不思議なもので、人前で挙動不審な動きをすることが少なくなったし、自然と目線が高くなったような気がする。
視界が広くなったのだ。

 

電車に揺られながら太郎は考える。
2年前。
自分があの夜、相馬に出会ってなければどんな人生だったのか。

「やっぱり留年してただろーな。空手始めて逆に取得単位が増えたくらいだからな」

 

 

新宿から1時間ほどで、鎌倉に到着した。
ここには、高校生の時に、修学旅行で来たあった気がする。

「これが、江ノ電かあ」

自分の知らない街に行くのは面白い。
何か新しい事が思いついたり、発見があったり、出会いがあったり……太郎はそんな気がした。

 

江ノ電に乗り、海辺を眺める。

「空手から離れると……本当、俺には何もないな」

友人もいない。
恋人も……正式にはいない。
将来も暗い。

「俺が空手にここまで熱中するとはなあ。人生わからないね」

 

 

太郎は終点のいくつか手前で降り、海岸線の砂浜をひた歩く。

 

人生。

自分の人生。

 たった一回の人生。

今、太郎が生きがいを見出すならば、それは『空手』しかありえなかった。

「今、俺は、ほぼ全てを空手にぶつけている。大学。就職。将来。全てを投げ捨てて、空手に没頭している」

太郎は、海を眺めながら思う。

「相馬先輩や同期のロベルトは世界大会への出場を決めた。6月の体重別全日本大会で優勝できず、世界大会への出場が果たせなければ、俺は……」

元々、世界大会なんてものは、夢のまた夢の話であったハズだった。

それが、今や、手の届くところまで来ている気がする。

「世界大会に出場するんだ。とにかく。俺の全てをかけて」

太郎はゆっくりと大きくため息をついた。

「とりあえず、空手事は忘れよう」

 

 

三月でまだ寒い時期だが、波乗りを楽しむ人が結構いるようだ。

「何か楽しい事を見つけた人は、幸せだよな」

カップルの姿もちらほら。

「加えて素敵な恋人がいるなら、なお幸せだよなー」

あずさとは、あまり進展がない。

「あ、あれがかの有名な江の島かあ」

江の島が近づいてきた。

太郎はその姿を見て満足してしまった。
海岸近くのコンクリートの壁を背に座りこむ。
夕暮れの海は太郎を切ない気分にさせた。

「夜は暗いことばかり考えがちだが、夕方は切ないことが頭に浮かぶなー……あずさ先輩……はあ」

「なかなか味のある台詞だねえ。夕方は切ないことが浮かぶ……ふふ」

「ぎょぎょ!」

太郎は横を見ると、オールバックに髭を生やした男性が隣に座っていた。
年齢は40くらい。
アイロンされた薄いブルーのワイシャツ、それに白いスラックスで砂の上にダイレクトに腰を落としている。
オシャレなおじさんだった。

「あずささん、か……いい名前じゃないの。君の恋人? 可愛いの?」

細い指で髭をいじっている。

「か、可愛いです。めちゃくちゃに!  こ、恋人かどうかはわかりませんが」

「そっかー、いいなあ。どこまでいったの?」

「ぎょぎょぎょ!」

その男性はいたずらな笑顔を見せている。

「チュ、チューしかしてません」

「あらら、やることはやってるんだね。でも恋人じゃない」

「おそらく」

「……君が好きになるタイプだから、きっと向こうも奥手な娘だね? きっと」

細い手で太郎の胸元を指差す。
この男、若い頃は……いや、今もきっと女性にモテルのだろう。
太郎は、二言三言交わしただけで自分の状況をみやぶったこの男に感心した。

「そ、そのとおりだと思います」

「うーん!  お互いの心はわかっているのに、通いきれていない気持ち、この切なさ!  いいねー、断然青春だねー」

 

突然現れたこの男性は、近くで喫茶店のマスターをやっているらしい。

「僕もね、考え事をしたいときは、ここに来るんだよ」

男性は、大学を中退して、いくつかの職を転々とし、今の仕事に落ち着いているらしかった。
旅先で出会った女性と結婚していて、春から高校生になる娘がいるのだと。
妻は、国際的な仕事をしているため、日本にはほとんどいないとのこと。

この男の波乱万丈な人生を聞いていると、留年や実家から勘当されたくらいで、ショックを受けている自分がなんだか恥ずかしくなってくる。

 

太郎は、いつの間にか、あずさとのことを相談していた。

「太郎君は、運命のヒトって信じる?」

「そ、そうですね。いるのではないでしょうか」

「運命のヒトなのかどうかは、結果論でしたないのだけれど、私が思うに『100人に1人』といえる女性と出会えたのであれば、それは運命のヒトと言ってもいいだろう。とても幸せな生活が待っている」

「100人に1人ですか」

「一生で知り合える女性の数なんてたかが知れているからね。あずささんは、何人に1人の女性なのかな?」

「・・・・・・今まで、まともに会話した女性がいないものですから・・・・・・『1人に1人』ですね」

「はっはっはっ」

包容力ってあるんだな。
初めて会ったのに、いろいろと話してしまった。

結局、空手のことは話さなかったが。

 

 

しばらくすると留守番をしている娘が心配するからと言い、去って行った。

「どこの何さんか聞かなかったが……カッコよかったな。俺もあんな風にダンディーなオジサマになりたいもんだなあ」

ちょっとした旅で、ちょっとした出会いがあった。

将来への不安は、いつも心の片隅にある。
だた、明日からまた普段の熱い日常に戻っていく。

 


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